THE SMITHS

THE SMITHS とは、80年代イギリスに存在した、あるロック・バンドである。それは、
ある人々にとっては特別なものである。彼らの何がそれらの人々を惹きつけるのか・・・



THE SMITHS論 by 独文4年T.H

 ザ・スミス。イギリスで最もありふれたファミリー・ネーム「SMITH」の
複数形。
しかし彼等は普通のスミスではない。彼等は最低のスミスだ。いや、彼等、とい
うのは適当ではない。モリッシー(Vo)とジョニー・マー(G)の2人の作り出
すスミス。ザ・スミス。どこにでもいるけど、どこにもいない、特別なスミス。

 イギリスのロックは死にかけていた。60年代、70年代という時代を経たロック
はへにゃへにゃで、パンクという新たな波はとどめの一撃を加えんばかりだっ
た。そして暗黒の80年代。イギリスには「ロック」を求める土壌が育っていた。

 そんな時だ。マンチェスターという由緒ある街の、どこにでもある家に一人の
男がいた。
23にもなって職にも就かず、親と同居の家にこもりきりで、オスカー・ワイルド
を筆頭とする書物を読み、文学かぶれの文章を書き、お気に入りのレコードをか
ける毎日を過ごす男。誰にも愛されない、誰からも必要とされない男。それがス
ティーブン・パトリック・モリッシーだった。
 82年のある日、その家に一人の男がいきなり訪ねてくる。洋服屋で働くギター
少年、
ジョニー・マー。マーは自分の曲にうってつけの男を見つけ出した。文学かぶれ
の自家中毒男。マーはモリッシーを外に連れ出す。自閉症気味で内向的、だけど
自己主張したくてどうしようもないモリッシーは、マーの手により世界に、社会
に連れ出された。そしてアンディ・ルーク(B)、マイク・ジョイス(D)を加
え、ここにザ・スミスは誕生する。

 ザ・スミスの曲はマーが作曲し、モリッシーが詞をつけた。マーの曲は様々な
音楽を通じて培われた純粋なポップソング。そしてモリッシーの詞は内に鬱積さ
れたへなちょこぶりを、長年培われた゛腐った゛文学センスによって高度に、し
かしシンプルに結晶化させたものだった。一切シンセサイザー等の機器を使わ
ず、ギターのみで、あくまで死につつあるロックを奏でること。それがザ・スミ
スの音楽だった。
 83年5月。シングル「Hand In Glove」をリリース。これがザ・スミスのデヴ
ュー作となる。翌2月にはファースト・アルバム「The Smith」を発表。モリッ
シーの個性的な詞と、マーの溢れるポップセンスはこの時点ではまだ完全に融合
はしていない。しかしこのアルバムにはザ・スミスの代表曲ともいえる曲が散見
できる。未熟なシングル曲ですらすでにザ・スミスらしさが溢れている。勿論
「Hand In Glove」も収められている。
 「Hand In Glove」。ザ・スミスの戦いの狼煙。冒頭のマーのポップなハー
モニカが流れた後、モリッシーはこう歌う。
 
 「手に手をとろう 太陽はぼくらの後ろから照り付ける 
  違うよ! ぼくらの愛は他の奴等の愛とは全然違うんだ。
  何故ならそれはぼくらの愛なんだから。」

太陽は決して前からは照り付けない。永遠の日陰者。でもぼくにはあなたがい
る。根拠はないけどぼくらの愛は最高なんだ。モリッシーは最高の伴侶を手に入
れた。そしてこれからその伴侶とともに世界をひっくり返しに行く。例え太陽が
ぼくの顔を照らしてくれなくても。
 
 モリッシーは弱者だ。内に閉じこもり、逃避の毎日。それをありのまま詞にす
る。今までそんなことを詞にする奴はいなかった。例えば愛と勇気と希望を歌う
ものはいた。絶望と困惑と悲劇を歌うものはいた。しかしモリッシーのような詞
を歌うものはいなかった。当たり前だ。愛も勇気も絶望も希望も、それを歌うや
つはすごいやつだったのだ。とてもとてもカッコいいやつらだったのだ。しかし
モリッシーはそうではない。彼はひょろひょろの、黒ぶち眼鏡の陰気な文学青年
だったのだ。世界の最底辺の人間だったのだ。
 不細工な女の子だって歌にしてもらえた。移民だって黒人だって奴隷だってホ
モだって歌にしてもらえた。でも、行き場のない23歳の無職ヒマありの青年な
んて誰も歌にしない。そういう男を歌った詞は、ジョニー・マーという稀有なポ
ップソングライターの曲と結合する時、世界を包む魔法となる。それがザ・スミ
スの、モリッシーの戦い方。
 ザ・スミスは世界をひっくり返す。シャワー室で上級生にけりを食らういじめ
られっ子。独り言しか言えない独身男性。戦いを知らない惨めな者全て。例えば
労働者の団結。学生のシュプレヒコール。子供の権利。弱者のために世界は変わ
り、弱者のための世界になっている。でも、依然としてその網の目からこぼれて
しまう、弱者。
 モリッシーは歌う。生きる資格もない人間の歌を。世界の仲間に入れてもらえ
ない者の歌を。しかしモリッシーはもう閉じこもっているだけではない。マーが
いる。最高の恋人がいる。最高の愛人がいる。モリッシーの閉じ込められた弱者
の鬱屈は世界に放たれる。
 マーがいれば世界は逆転し、そして、太陽は後ろから照り付ける。後光のように。 

 84年11月。セカンド・アルバム「Hatful Of Hollow」をリリース。ザ・スミ
ス最高傑作と言われるこのアルバムは前期ザ・スミスのベスト盤というに相応し
い。それはザ・スミスがシングルに、3分間のポップ・ソングに賭けた結果から
生じたものだった。弱者=自分を歌うモリッシー。
 「本当はたいしたことじゃなかったんだ。」
 と歌われる「Willam」から始まり、
 「人生で初めてぼくの願いが叶うことを、神様は知っている。」
と締めくくる最後の曲「Please・Please」まで16曲。前作に比べて各段に曲のセ
ンスはアップしている。モリッシーの詞は相変わらず救われないダメ人間の姿を
描く。世界は逆転し始めた。

 85年2月、サード・アルバム「Meat Is Murder」。未だ形の整わなかったス
ミスは、本作でそのバンドとしての姿を完璧に整える。モリッシーの歌詞も、マ
ーの曲作りも更に冴え渡る。このアルバムでザ・スミスは全英1位を獲得。イギ
リスはスミスのものになった。世界は逆転し続けている。アルバム1曲目「The 
Headmaster Ritual」は繰り返し歌う。
 「お家に帰りたい。
  こんなところにいたくない。
  ラララララ。」
 学校でいじめに遭うからお家に帰りたい。みじめな弱者。もう誰もスミスの支
配を止める者はいない。こんなみじめで、どうしようもないスミス。皆が無視し
たどこにでもいる、弱者のモリッシー=スミス。でもみんなスミスを聴いてい
る。ザ・スミスを聴いている。
 モリッシーはジョニー・マーとだけじゃなかった。ザ・スミスはイギリスを制
したのだ。腰をふりふりしながらオカマ声で歌い、ステージにはたくさんの花を
撒き散らす。そんなザ・スミスのファンには自殺者まで出るようになった。弱者
としてカリスマになったモリッシー=ザ・スミス。太陽は後ろから照り付けてい
る。筈だった。

 85年11月。ザ・スミスはサード・アルバム「The Queen Is Dead」をレコー
ディング。しかしアルバムリリースはそれから6ヶ月という時間を要した。レー
ベル会社ラフ・トレードとの交渉難航のためだった。またメンバーの一人アンデ
ィ・ルークのドラッグ問題がここに来て浮上。モリッシーはセックス・ドラッ
グ・アルコールを受け付けなかったし、ルークはマーの旧友ともいえる人物だっ
た。メンバー間にぎくしゃくしたものが起こりはじめる。モリッシーの不安は次
第に頭をもたげ始める。マーと作ったザ・スミス。巨大になり始めたザ・スミ
ス。太陽はもう後ろから照らしてはいなかった。
 翌年6月。「The Queen Is Dead」リリース。あらゆる音楽に精通したマー
は、カントリー、スカ、そして持ち前のポップ・センスを昇華させ、モリッシー
の詞は更に弱者を語り続ける。「The Queen Is Dead」。大英帝国、そしてマ
ーガレット・サッチャーという腐肉のイギリス。「Bigmouth Strikes again」。
人間のお仲間には入れてもらえない。
「Boy With The Thorn In His Side」。誰も信じてくれない。僕らのこと
なんか。
「Some Girls Are Bigger Than Others」。遺伝子学的に抗えないという事
実。
このフォース・アルバムは完璧だ。全10曲。間然として一分の無駄もない。モ
リッシーは惨めたらしいスティーブンのまま、ザ・スミスのモリッシーになっ
た。そう思わせるに足るすばらしいアルバムだ。
 このアルバムには2つの名曲がある。3曲目「I Know It`s Over」。

 「もう終わってしまった事。 だけどぼくはしがみつく。
  どこにも行き場なんてない。 わかっているよ。
  もう過ぎてしまった事だと。 そして本当は始まってさえいなかったと。
  だけどぼくの心の中ではそれはあまりに本当だった。」

  5曲目。「Cemetry Gates」。

 「ぞっとするほど晴れた日に。 歓迎されているのだから。
  墓場の門で落ち合いましょう。 キーツとイェイツは君の側。
  だけど君の負けだね。 だってぼくにはワイルドがいる。」
 「I Know It`s Over」はしっとりとしたバラード。そして「Cemetry 
Gates」はポップソング。両者にモリッシーは詞をつける。愛情表現を身に着け
られなかったモリッシ―の、相棒マーへのどうしようもない気持ち。しかし「I
 Know It`s Over」にはこんな一節もある。
 
 「彼女は君を愛している、というよりは必要としている、のだけれども」

 マーは詞をつけてくれる人が欲しかった。ただそれだけ。鬱屈とした日々から
手をひいてくれたジョニー・マー。最愛のジョニー・マー。全ては終わってしま
った。汚物が頭から振りかかってくる。どうしようもないとわかっている。でも
執着してしまう。
 そしてモリッシーは詞を続ける。「Cemetry Gates」。晴れた日に墓場くらい
しか行き場所がない2人。ともにその墓碑を読み、泣き、笑った2人。でもモリッ
シーは選択する。
 「だけどぼくの勝ちだね。」と。ワイルドがいる僕のほうが勝ちだと。2人き
りしかいない世界ですら、モリッシーとマーの世界は一緒ではない。2人は違う
人間。
 「The Queen Is Dead」はザ・スミスのアルバムの中で最も完成したアルバ
ム、と言われる。しかし2人はもう相容れなかった。ザ・スミスは落日を迎え
る。太陽はどこにもない。

 この86年4月。ザ・スミスからルークが脱退。新たにクレイグ・ギャノンが参
加する。と、思いきやテレビには5人で演奏している姿が映っていたりする。
 同年7月。シングル「Panic」リリース。「DJを吊るせ」という詩句を「黒人差
別だ」ととる雑誌があることから、ちょっとした問題に発展。マーはムキになって
これに反論。
 9月。問題だったラフ・トレードとの契約問題は更に面倒だった。雑誌が「
ザ・スミスEMIに移籍」をすっぱ抜いたものだから、その後のツアーで、金儲け
に走っただの、あたし達の理想を壊しやがってだの、おかげでモリッシーはツア
ー中に暴行を受け、マーはマーで同じツアー中に自動車事故を起こす。これらの
事件にタブロイド紙などが群がり、ザ・スミスの栄光は地に落ちた。ずたずたに
されたザ・スミスは12月、新メンバー、クレイグ・ギャノンの脱退を発表する。
この一年を通じてマーは他のバンドとのセッションを希望し、モリッシーは頑な
なまでにザ・スミスというバンドのみでの活動にこだわった。モリッシーとマー
の関係は次第に険悪な物になっていく。そしてザ・スミスという奇跡のバンド
も。  
 ………太陽は砕け散った。

 87年2月。「The World Won`t Listen」発表。後期ザ・スミスのベスト盤と
もいえるこの作品の「You Just Haven`t Earned」という曲から。

 「どうして人はみな乱暴で残酷なのか。 不思議でしょうがないのかい?
  だったら教えてあげよう。 何故なのか教えてあげよう。
  それはきみがまだそれを手に入れるに値しないから。もっと苦しまなきゃだ
めさ。」
「Cemetry Gates」のように軽快なメロディーに乗せて流れるこの曲は、ほんと
の、ひとりきりの弱者になってしまったモリッシー自身に向けられる。
 「何故なのか聞いてごらん。あんたの目に唾を吐きかけてやるから。」
 と歌う「Still Ill」。
 「ぼくに聞いて。何故ならそれは愛じゃなくてぼくらにもたらされた爆弾なん
だよ。」
 と歌う「Ask」。
認めてくれない他人に対しての呪詛は、ネガティヴィティは、ここで自らの
弱さに対して、未熟に対して歌われる。砕け散った太陽の欠片。
  しかし、もう全てが取り返しのつかない事態になっていた。
  
 3月。「Strangeways、Here We Come」のレコーディング開始。しかしもう
ザ・スミスの人間関係は修復不能な程になっていた。2ヶ月後、レコーディング
は終わるが、マーはこの時以来モリッシーに会っていないという。「やった。こ
れで何週間か、バンドから離れられるんだ!」とマーは収録語にある人に語った
という。2人で作ったザ・スミス。このアルバムは砕けた太陽の欠片を拾い集め
たアルバム、とでもいえようか。
 「Girlfriend In A Coma」、「Stop Me If You Think You`ve Heard
 This One Before」…。このアルバムの殆ど全ての曲は、前作より一層惨め
で、そして言い訳がましい。
 モリッシーはマーをどうしてもザ・スミスに引き止めたかったに違いない。
ザ・スミスこそモリッシーの初めての社会であり、世界であり、家だったのだか
ら。でもマーは違った。バンドが認められれば、マーはどうしたって表現したく
なる。他のバンドと交わりたくなる。モリッシーは手段であり、作詞者であり、
ボーカリストだった。マーの予想以上に、モリッシーは世界を逆転させ、彼は
ザ・スミスのカリスマとなった。ザ・スミスが成功していくにつれ、モリッシー
は英雄になり、マーは悪役になっていったのだ。
 
 8月。音楽雑誌『NME』が、「ジョニー・マー。ザ・スミスを脱退」をスクー
プする。マーが抜けたザ・スミスはもはやザ・スミスではなかった。翌月、ザ・
スミスは解散する。
 同月、ラスト・アルバム「Strangeways、 Here We Come」がリリースされる。 

  無論、みんなは知っていたのだ。ザ・スミスがこの世からいなくなることを。

  ザ・スミスのラスト・ギグ。1986年12月12日。ライブ終盤にあたって、満員
のファンは耳を疑った。「Bigmouth Strikes Again」のあのマーのギターでは
なく、ハーモニカの音が鳴り響いたからだ。
 「Hand In Glove」。ザ・スミスの最初の曲。最早砕け散った太陽。ザ・ス
ミスは、モリッシーは歌う。

 「だけど自分の運はよくわかっている。わかりすぎている。
  きっともう2度と君には会えないんだ。
  もう2度と会えないんだ。 
  もう2度と。」
 
 もう2度とザ・スミスには会えない。過ぎ去った季節や青春や、はたまた最愛
の人と別れたらもう二度と会えないように。
 
 解散後ザ・スミスのメンバーはどうなったか。モリッシーはソロとして活動。
ほぼ10年を要し、彼は「Southpaw Grammer」という傑作アルバムを残す。そし
てジョニー・マーは多くのバンドとセッション。ニュー・オーダーのバーナー
ド・サムナーとのユニット、「エレクトロニク」は特に有名である。
 残りの二人はスウェードのドラム募集に参加したり、あちこちでスミスの悪口
を言っている。
 

                               了


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