★現前的場面をいかにして叙述に入れ込んでいるか、注意して読むこと。
▼第一章「田舎の序曲」
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1
ミシェル・クローズの生い立ち。「幼いミシェル・クローズは、今世紀のはじめごろ、ローヌ河から数キロはなれたドーフィネ地方〔フランス南東部〕の小さな町に生まれた。……」
公証人の父。二人の妹。
ミッション・スクール、サン=シェリー高等中学校に十三歳の時に入学。
全寮制の学校生活について。十八世紀以来変わっていない木靴と鞭の寄宿生活。
学校の中で流行していた「紐」関係=同性愛的恋愛について。それに対する学校側の監視について。「「優」をもらうことは保証つき、この地方のどんなコンクールに出てもかならず入賞するという哲学級の最優等生が、まだ小さな「第三年級」のなかでもっとも気をそそる、魅力的でいたずら好きな十三歳の少年への愛を打ち明け、彼から一歩もはなれようとしなかった。……」
(ここから現前的場面スタート。この時ミシェルは十七歳)「第一年級の生徒監で「ラ・ガイユ」という渾名のガイエ神父が、熱に浮かされたように、中庭を大股に行ったり来たりしていた。骨太の、血の気の多い、精力的な田舎者で、四十すぎになっても教授格になれるだけの知識を鄙びた頭にしみこませられずにいる男だった。……」
生徒達の「紐」関係に執拗に目をみはっている、生徒監ガイエ神父についての習慣的記述。
------------------------------------------ある日、サン=シェリー高等中学校にて
「「いつも一緒にいるあの二人は、あの片隅で、いったいなにをたくらんでいるんだろう?」/ガイエ神父は、彼の縄張りの一番奥、体操場の用具置場のかげで、なにやら話に夢中になっているミシェル・クローズとギヨーム・ラファルジュに気づいたところだった。……」
二人は「紐」関係とは無縁であるように見えたが、しかし……探りを入れるためガイエ神父は近づいていく。「くそ! ラ・ガイユのやつがこっちにきやがる」ユゴーの話をしてやり過ごす。
ミシェルとギヨームについてディエゲーシス。彼らは学生の中でも大分奇抜なタイプでとおっており、「紐」関係に誘惑されることはなかった。むしろ同性愛の安易さを軽蔑していた。そして彼らの官能をより惹き付けるのは目に見えず禁じられている異性の娘の方だった。
ガイエ神父が去ってから、さっきまでの話を続ける二人。「「よく聞いてくれ」彼がいった。「さっきは口からでまかせだったんだ。ぼくがいいたいのはこういうことだ。基本的教訓、第一真理、それは「他人は馬鹿だ」ということなんだ」
ミシェルの誇り高さの兆候的描写。ギヨームについての補足説明(「ギヨームがアルデーシュ県のたいへん立派な弁護士の息子であることをまだ言っていなかったが、すでに肩もがっしりしており、金髪で赤ら顔で目の青い彼は……」)。
二人とも「ほかの連中」に比べて自分が特別だと思っているということを告白し合う。ボードレールの話。「しかしこっけいなうぬぼれ小僧だといわれるかもしれないよ」「人がなんと言おうと、どうでもいいんだ! 問題はうぬぼれなんかじゃない、真実なんだ。ぼくらの義務なんだ。ぼくらは自分の価値をしっかり身につけるべき年齢になったんだ。ぼくは誇りをもちたい。なぜなら誇りを持っていいときには誰だって持つべきなんだから。ぼくらは、生まれついたとおりのぼくらにふさわしい人間であるべきだ。君だっておすさ。……」友情を誓い合う二人。
「ぼくらがここまでたどりついたとすれば、もうおたがいにかくしだてをする権利はない。……」そして信仰について踏み込んだ話をはじめる二人。だが休み時間の終わりを告げる鐘が鳴る。
翌日。しかし気恥ずかしくてなかなか昨日の話のつづきができない。口火を切ったのはミシェル。「昨日、鐘が鳴るちょっとまえ、君は大事なことをいったね…」
ギヨームは学校で教えられている宗教教育にまったく納得できないと告白し始める。それはミシェルも同様だった。「あの復活祭の話! イエス・キリストが墓から出ていたるところに姿をあらわしたら、彼の復活があまりにも明白すぎて、ぼくらの自由がうばわれていただろう、あまりにも信じやすいことになっていただろうというわけだ。人間相手にかくれんぼ遊びして、奇蹟があまりにも奇蹟らしくみえすぎないようにうまくとりくつろいながら、しかもなおぼくらを湯釜に投げこむ、神がそういうものだというのはひどく不愉快だと思わないか?」「ぼくらは頭を垂れるような人間じゃない。ぼくらには真理を探し求めることが必要なんだ。そしてその真理がどんなものであっても、正面から見据えなければならないんだ」
「こんな調子ではいめられた打ち明け話の細部をこれ以上追いかけるのは、おそらく余計なのにちがいない。……」ついでのように、二人の文学趣味についてディエゲーシス。ランボーとボードレール。彼らはすでに学校のカリキュラムの数世紀も先を行っていた。
2
------------------------------------------一年後、ミシェル十七歳、同じプラタナスの下で
一年後、哲学級に進んだ二人は、同じプラタナスの下で、相変わらず能弁をふるっていた。ラ・ガイユがその日の郵便物を配った。ミシェルの受け取った一枚の絵葉書が話題に。
野暮ったいラマルチーヌの家の絵葉書。「大詩人の故郷に遠足にきています。レジス・ランテルムより」
嘲笑うギヨーム。「だれなんだ、こいつは」
ミシェルが現前的科白で説明。「おぼえてるだろ。一度か二度、こいつのことは話したことがあるよ。……」リヨンに住んでいるミシェルの親類。従兄弟の従兄弟で、幼友達。レジスとミシェルに共通の従兄弟は飾り紐の製造業者で百万長者だそう。レジスも文学好きらしいが、趣味のレベルは低い。しかしレジスの十八番は音楽で、とくにピアノの腕前についてはミシェルも兜を脱ぐしかない。そして無論、レジスはキリスト教徒。
レジスの話題はそれで終わり。
「十七歳になる二人の哲学級生徒は、自分たちの過去を探った。……」宗教に対し批判的だったとしても、二人の態度は若干異なった。「「君はおろかしさに敏感なんだ」と彼はいった。「ぼくが敏感なのは偽善だ」/「おなじことさ。ぼくら二人はどうやら異端者のみごとな番いらしいね」」
ミシェルもギヨームもバカロレアの前半に合格したが、二人にとってそんなことはどうでもよかった。彼らは文学的野心について語った。「彼らは、運命がりっぱに成就される道、胸をときめかせると同時にやっかいな茨の道でもある、そんな道の探求におもむくものとして自分をみていた。……」さらにまた彼らは青臭く愛についても語った。「その名に値する愛は、燃えあがる心と肉体の火が結びついている愛しかありえないと考える点で、二人の意見は一致していた。……」(ここで「──彼らがそう考えていたことは容易に想像できる」という語り手の注釈が入る。)
そして宗教教育の馬鹿らしさと偽善性を罵倒する二人。
3
------------------------------------------バカロレア合格以後
「十六歳から十七歳にかけてブルジョワの文学観の基盤を堀りくずすことに専念するような子供を育てたことは、田舎の弁護士や公証人にとって、ほとんどつねに腹立たしいことである。……」周囲の家族は二人が信仰を失ったことに気づかなかった。
バカロレアが終わってはじめての休暇の一ヵ月を、二人は一緒にすごした(一部の会話を現前的に書き起こし)。
だが、秋になると二人は別々に暮すことになった。ギヨームの父の転任でギヨームはさらに南のプロヴァンス地方の大学へ行かなければならなくなった。ミシェルはリヨンの大学にすでに学生登録を済ませていた。
------------------------------------------リヨンの大学入学(九月〜)以後
ミシェルの父親(公証人)は、リヨンの大学での息子のキャリアを会計検査院・国務院に通じるものとして思い描いていた。ミシェル自身の志望は文学や思想にあったのだが。法律の勉強は味気なかった。リヨン大学での文学講義はさらに悪かった。「髭を生やした哀しげな顔の男たちが、ウェルギリウスの三行ほどの詩句や、「秋の葉」の一節について口角泡を飛ばして議論をしており、……ギロチンの板にくくりつけられた死刑囚とおなじように満足して、彼らは自分たちの作家にしばりつけられていた。……」
大学時代の色恋沙汰は、ミシェルの抱いている「愛」の観念からすれば、お話にならないものだった。ミシェルは十八歳になろうとしていた。彼が決して美男子にならないことは分かっていた。
しばらくポーカーや競馬に夢中になる自堕落な生活がつづいた(日に二時間の法律の講義はいかにも楽だった)。だが五ヵ月ぶりに会ったギヨームがそんなミシェルの尻を蹴飛ばした。ミシェルが無知だった多くのことを教える。アポリネール、ゴッホ、アンドレ・ジードのボードレール論、等々。
------------------------------------------大学一年目の冬
冬の終わり頃になってもまだミシェルは自分の生の方向性を見出せない。
ミシェルには三人の弟子がいた。一人はサン=シェリーの卒業生アントワーヌ・バラトン。二人目はリヨンの学生。三人目はレジス──文学趣味については毒にも薬にもならない男。しかしピアノの腕前はさらに上達している。当然彼らとの付合いは確かな趣味の持主であるギヨームとのそれとは比べようもない。彼はギヨームに手紙を書く。
「親しいギヨーム、レジスのことはもう話したことがあったね。鼻の高いのっぽなんだが、心底官能的なのか、それともすこしまぬけなのか、いまでもよくわからない。……」
たしかに自分の周囲でランボーについて語り合うことができる数少ない一人がレジスだ。だが信仰まみれの彼の使徒的活動は嫌悪せざるを得ない。彼はもっとも完璧なたぐいのカトリック信者というだけではない、この上なくおぞましいイエズス会士の研究サークルに入ってさえいる。ただしレジスはミシェルを信仰に誘おうというようなことは何もしない。しばしば宗教の事柄について話し合う。そんな時ミシェルは何も遠慮はせずに語るが、それでも、互いに平静さを保つ。ミシェルが信仰をもたないにしても卑俗ではないことをレジスは認めてくれている……。いずれにせよ「レジスが評価すべき多くの側面をもっているのはたしかだ。しかし、ぼくたちのあいだに相互理解がなりたつとはどうしても思えない」。
4
------------------------------------------大学一年目終わりの夏期休暇、レパルヴィエールの実家
「とはいえレジスは、レパルヴィエールの大きな館と農場に招かれて一週間すごす栄誉に浴した。……」レジスの陽気さ、彼のピアノの腕前は、ミシェルの家族たちに歓迎された。レジスはやっと十六歳になるかならないかの妹セシルにとりいった。
レジスと入れ替わりにギヨームがやってきた。ギヨームはレジスほど家族の気に入らなかった。むっつり屋で腹黒そう? だがミシェルの孤独は解消された。晦渋な読書の助けを借りて、二人は腹を割って話し合った。「彼らが確信をえたのは、自分たちが決然として生涯を捧げるはずの文学こそ人間のもっとも重要な活動だという点であった。……」
ギヨームもセシルにたいしてまずまずの気づかいをみせた。
5
------------------------------------------休暇終わって大学二年目
ふたたび大学に戻ると、もう法律書に取り組む気がなくなっていた。十月の試験をパスしたのはギリギリ。七月の試験では再試験にまわされた。
一方、ギヨームはプロヴァンスで幻滅していた。ところがギヨームは突然パリに住まいを移しパリで勉強をつづけることを決意した。予想に反して父親が賛成してくれたからだ。ギヨームは「ぼくが向こうで習得することは、すべてぼくたち二人のためのものだ」と言ってくれたが、ミシェルはリヨンに取り残されたような思いだった。
ふさぎこんでいるミシェルのところへ、レジスが「ワーグナー・フェスティバル」の情報をもって興奮して駆け付ける(この場面、部分的に現前的に書き起こし)。ミシェルにとって純粋に感動的な音楽はピアノのそれでしかあり得ず、ワーグナーはむしろ敬遠していたのだが……。
------------------------------------------ワーグナー・フェスティバル
ミシェルは『ローエングリーン』に信じられないほどの感銘を受ける。さらに『ワルキューレ』に打ちのめされる。そして『トリスタン』の美に頭を占領されて──「熱愛していた。しかしなにを愛しているのかわからなかった。すでにこれほど信じがたい気持になっていた彼はいっさいの検討を放棄して、盲目の熱愛に身をゆだねていた。……この雷撃にくらべれば、それまで彼が経験したような愛の衝撃など、いったいなんだというのだろう?」
------------------------------------------大学二年目の冬
この年の終わりは、レジスと一緒にワーグナーの楽譜を検討することで暮れた。二人はたがいの到着を知らせ合うのに〈森の息子〉の主題を合図にするのがつねだった。
6
------------------------------------------大学二年目の一月
そこへパリからギヨームの手紙が届く。パリでのギヨームの生活の絢爛さ。彼ももうワーグナーを聞いていたが、それ以上にギヨームはすでに成熟した精神と才能の持主たちとの交際によって、自分をゆたかにしているのだった。
それと比べてミシェル自身は?……二十世紀も二〇年代に入っているというのに、ワーグナーを発見するのに十九歳までかかったとは……「パリにいたら、十五歳のときにはワーグナーを全部知っていただろう。」
ミシェルはレジスに不満だった。三人の弟子にはミシェルのほうから与えるものばかりで、彼らから受け取るものは何もなかった。おまけにレジスはバレスやペギーの書物をこれみよがしに抱えて、今度こそ自分の方が一歩先んじるのだという顔つきをしていた。そんな作家にはミシェルは食欲も湧かなかったのだが。
ミシェルはリヨンのいかにもブルジョワ的な田舎くささに我慢がならなくなってきた。ギヨームも「パリに出てきた方がいい」という手紙を寄越す。
------------------------------------------ミシェル、十九歳の誕生日の四ヵ月後
「ミシェルには、十九歳の誕生日にすばらしいプレゼントをあげようと約束してくれた大伯父がいた。そのプレゼントが四ヵ月おくれてとどいたのだった。……」二千フランの為替。それを旅費にミシェルはパリへ。彼はその都市に陶酔した(この場面、部分的に現前的に書き起こし)。世界でもっとも美しい風景の一つを前にして、彼はもう法曹にも公証人にもなりはしないと心の底から決心した。「「よし、決めた」と彼は考えた。「ぼくはここで暮すことにしよう」」
※ルバテの文体便覧(第一章から)
・今じゃ、あいつちょっと頭がおかしくなったと思ってるにちがいないんだ。君とのつきあいを選んだぼくは、いってみれば脱落したんだ。(f18)
・しかし一方、だからといって、君にはそんなことどうでもいいはずだ。衣料品置場の尼さんたちが『イリュミナシオン』をどう思おうが、どうでもいいようにね。(f19)
・人間相手にかくれんぼ遊びをして、奇蹟があまりにも奇蹟らしくみえすぎないようにうまくとりつくろいながら、しかもなおぼくらを湯釜に投げこむ、神がそういうものだというのはひどく不愉快だと思わないか?(f20)
・彼らはこうして、もろもろの革命や流派の論争もふくめて、文学史を完全にわがものとして生きたのだった。ただ一学期が半世紀にもあたっていた。(f22)
・ミシェルは一枚の絵葉書を指でつまんで裏返していた。彼が巧妙な仮面をつけて、ヴィエンヌ=ジュール=ル=ローヌのジョゼットとかいう娘と文通しているのを知っていたギヨームは、たずねるのがその場にふさわしいと判断した。(f23)
・そんなにみなりに気を配るんじゃ、徒刑囚みたいなサン=シェリーの連中をほめたたえるようなものじゃないかとひどく声高に抗議したあと、ギヨームは、これみよがしに乗馬ズボンをはいたのだった。(f25)
・彼らの批判と決議論に、突然ピトレスクなものが闖入した。二人が話題にしたのは「ブセフ」すなわちジョゼフ・ド・ベルグだった。(f26)*pittoresque=絵画的
・ランボーはあの世の生の偉大な写実画家だが、その沼がその生への扉を開いてくれたのかもしれないと彼らは考えていた。(f26)
・カトリック教育を受けたすべての少年とおなじく、彼らはそれとなく福音書から遠ざけられていた。いつでもおなじソースをたっぷりかけて供される断章には、不信の念しか抱いていなかった。(f26)
・特別講座としてヴェルレーヌについての講義が予告されていた。かたつむりのような連中が自分の愛する詩人のうえにねばねばする痕をのこすのかと思うだけで、ミシェルは胸がむかついた。(f31)
・詩人たちのヴィジョンや苦悩や歓喜が、彼らにとっては意想外な類縁性を明らかにするために、あるいは文法上のささいな特異性を発見するために、選り分けたり、分類してレッテルを貼ったり、相互にひきくらべてみたりする材料なのだった。「ミロのヴィーナス」について講義してほしいとたのまれたら、大理石の肌にのこる蠅の糞をかぞえたにちがいない。(f31)
・ギロチンの居たにくくりつけられた死刑囚とおなじように満足して、彼らは自分たちの作家にしばりつけられていた。(f31)
・二ダースか三ダースの詩節をつまみ食いするように読んだことも、有名な小説をいくつかめくってみてとりわけ貪欲に《小話》に読みふけったことも、あの壮大なプログラムにくらべればまったく貧弱な寄与というしかなかった。(f32)
・それどころか最後に書いた断章では、メーテルランク氏のこのうえなく子供っぽい癖さえ思い出させた。(f35)
・しかしミシェルの渋面は消えなかった。別様にたしかな趣味の持主であるギヨームの顔を思い浮かべただけで、彼の代理としてこの文体を裁かずにはいられなかった。(f35)
・君も知ってるように、あらゆる使徒的活動にたいしてぼくたちがおなじように感じている嫌悪こそが、依然としてぼくの公教要理の第一の戒律なのだ。(f35)
・いや思わず福音などといってしまったが、あの僧服を着た犬どもの言葉なんか使いたくない。ぴったりした言葉がみつからないんだ。(f35)
・ぼくがいいなりになったのはもっぱら「ドキュメント」のためだった。汚くて、みにくくて、とんまで、女をものにすることなんてとてもできそうもない四学部のまぬけどもがみんな集まっている。(f36)
・しかし、ぼくたちもサン=シェリーでは、その味をあらかじめ知らされていたようなものだね。(f36)
・政治という汚物入れのバケツとの妥協は、たとえ足の指一本にしても絶対にあってはならず、これまで以上に遠ざけなければならない。(f37)
・ぼくたちにのこされている選択肢は、無政府主義か貴族主義かだけだ。両方とも平等主義の糞尿を嫌悪する。(f37)
・福音書に説かれた兄弟愛の泥にどっぷりつかりこみ、分別のつく年ごろになってざあざあ水をかけてそれを洗い落としたいという欲求にかられないものがだれかいるとすれば、そいつこそ、広く行き渡った汚辱の衆愚主義の市民になるのだ。(f37)
・それにぼくがこの種の文学に頑固なまでの趣味をもっているのも事実で、多かれ少なかれぼくが宗教史にとりくみはじめたのも、いささかサディスムをまじえてのことだった。(f38)
・いやまったく、ある人間がカトリック信者だということになると、それだけで話す言葉がぼくとはちがうのだ。天啓などという奇怪な信仰がある個人に根づくためには、彼のなかに亀裂というか、割れ目があるのでなければならない。(f38)
・ことのついでに彼らは自分たちの立場を擁護するため、当時有名だった五、六人の作家や批評家の棚卸しをし、神の摂理だの天啓だの七つの秘蹟だのの亡骸や、そのほかさほど重要ではない死者のむくろをひっくり返して楽しんだ。(f41)
・お尻についてならマルセイユはたしかに魅力たっぷりだったが、あまりにも心と頭脳が欠けていた。(f42)
・ギヨームが口に出していう言葉はこれまでになくゆたかな糧をふくんでいたが、ミシェルにとってその糧の味は残酷だった。(f42)
・リヨンでもよおされる音楽会にも二、三そういう例があったが、あまり気をそそられなかった。演奏されるのはレーガーやシベリウスなどの固い音楽、高踏派の詩句を思わせるサン=サーンス、いつ終わるか見当もつかないコンチェルトなどだった。(f43)
・君たちには、まったくうんざりだ。豚のようになにもかも説明してもらわなければならないなんて。(f47)
・一目でみてとらなければならないもの、勘を働かしてかぎつけなければならないもの、そう定義するしかないものがあるんだ。詩人たちは、君らの幾何学とは無関係な次元で活動するものなんだから。(f47)
・しかしそれらの書物をまえにしてもミシェルは食欲が湧かず、警戒心さえおぼえて、とても飛びつく気にはなれなかった。(f48)
・周囲を歩いているのは、いずれも夜郎自大な、あるいはいかにも詮索好きなリヨンの住人で、自分こそが宇宙の中心を歩いているのだと確信していた。(f48)
▼第二章「世紀」
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1
------------------------------------------大学二年目の四月〜七月
パリに旅行に来てから、パリに魅了されすぎてミシェルはもうリヨンに帰っていなかった。生活費はどうしたのか? パリにいる子供の頃からの友人、ヴラディミール・ルヴァスールのところに転がり込んでなんとかしのいでいた。この友人は共和主義者の財界人の父親の死後一千万フランほどの遺産を受け継いでいたのだった。ウラディーミルは自分の天才にとってリヨンは窮屈すぎると判断した田舎の若者を歓迎した。夜はシャンパンと女たち、昼はルーヴル美術館や画廊の数々を見てまわり、ギョームに会って哲学を論じる、そんな日々が続いた。家族が不審に思うのを避けるために、リヨンの三人の弟子のうちの一人に頼んで自分の手紙をたくみにレパルヴィエールの住所に中継してもらっていた。
だが七月のはじめにはミシェルも生家に帰らなければならなかった。そこで家族に、リヨン大学で法律を学ぶのはもうたくさんだということ、自分はパリで哲学の勉強に取り組む決心をしたということを宣言した。さいわいなことにミシェルの父親は楽観的だったので、話し合いで解決することができた。父親の現前的科白。いいだろう。私はおまえがリヨンで学士号をとるまでの三年間月々の面倒を見てやるつもりだった。だからあと一年は為替を送ってやる。おまえも今年の暮れでもう二十歳だ。自分のしたいことのために哲学が必要だというのなら、やりたまえ。しかし自分の暮しは自分で立てたまえ。それがおまえを鍛え上げる最良の学校となるだろう。私がほかに手を差し伸べるとしたら、おまえが病気になった時だけだ。さあ、パリの話を聞かせてくれ……。
2
------------------------------------------ミシェル、パリでの生活スタート
その時点のフランスの状況(ルバテの経歴がミシェルと近しいことを考えると、1923年)。戦勝後の世相。絵画、音楽、文学の分野での新潮流。「シーズンごとに千人の画家、五百人の作曲家、まだ著作を刊行していない百人の哲学者が生まれ、手のひらで過去を払いのけるのがみられた。アンドレ・ジードは無上の楽しみをこめて、すべては再検討されなければならぬと断言した。」パリはその坩堝。
ミシェルとギヨームはその中を泳ぎまわっった。すぐにもパリの地形図に詳しくなり、もはや自分たちを田舎者とは感じなくなっていた。
前代未聞のパリの芸術的光輝。ストラヴィンスキー。ジョイス『ユリシーズ』。パブロ・ピカソ。ラフカディオ、フロイト、カラマーゾフの兄弟とド・シャルリュス氏、セザンヌ、シェーンベルク、税関吏ルソー……。ミシェルとギヨームが生きた偉大な冒険。あまりにも速くめまぐるしい出現、交錯、衝突、消滅。このような時代に二十歳という年齢である自分たちの運命の祝福。
彼らは現代作家をとりあげて検討し、新しい世界になにをもたらしたかを規準に採点しもした。バレスとペギーはゼロ。クローデル、二点。アラン・フエルニエ、ゼロ。ジロードゥー、一点半(気取り屋の外交官。言葉の魅惑者。たくみではある、しかしついて行くのはちょっとくたびれるし、そもそもなにをいい、なにを示すためなのか? たいしたことではない。とにかくうんざりだ。ぼくらはこの流派には属していない)。ヴァレリー? よくわからない。プルースト、これはすごい、最高の十点。ジードも十点。
現代の詩人たちはアポリネール以外ろくなのがいなかったが、しかしシュールレアリスムの運動が台頭しはじめていた。
ミシェルとギヨームはアンドレ・ブルトンの弟子とバーで知り合うことができ、『シュールレアリスム宣言』をまだタイプ原稿の段階で読むことができた。彼らはブルトンの才能に感嘆した。
ほどなくギヨームはブルトンに会うことができた。そのことをミシェルに伝える科白のみ現前的に書き起こし。「ポーランド人のクラカウエルのおかげでブルトンに会えたよ。レンヌ街のパン屋でお茶を飲んでいたんだ。落着きはらった立派な顔で、本物の詩人の顔をした詩人だ。……」
ミシェルとギヨームはシュールレアリスト仲間に加わる。二人のテキストは仲間うちで拍手喝采を受けた……。シュールレアリストたちと一緒に行動していると、スノビズムに魅力を感じている美女たちとセックスを楽しむことができた……自由交換というわけだ。
------------------------------------------シュールレアリストとの出会いから三か月
そういった楽しみが三か月つづいた。だんだんギヨームとミシェルはシュールレアリストたちの活動が少し退屈になりはじめていた。彼らの伝統破壊の語彙のなかに、単なる修辞にすぎないものも多く混じっていることを見て取れるようになってきていた。そうしたことを慎重にギヨームが指摘すると、逆にひどくギヨームが嘲弄されるのだった。ギヨームは神学校にでももどるつもりなのかい? いったいどんな舞台でレパートリーの公証人役を演じるつもりなのかね? 雰囲気は徐々に険悪になっていった。ミシェルの現前的科白。「……いいかい、ブルトン、こんなことをいうのはなんだが、ぼくはスタンダールと同郷なんだ。ほんのつましい同郷人ではあるけれど。で、ぼくらのところじゃ、なにかことを企むのがとてつもなくむずかしいんだ。ぼくらが思うに、とにかく仲間たちは、社会をおびやかすとか、その粉砕を予告するとかいう傾向がすこし強すぎる。それに、その激しさときたらまさに聖書的だ、まるで明日の朝にでも武装した人間を三千万人も顎で使えるみたいじゃないか。……いや、まったく! このスタイルにはぼくらもうっとりしてしまう。それにしてもこの宣戦布告を文字通りに受けとめるなんて、ぼくらにはできないんだ… ……いや、そうじゃない、そうじゃないんだったら! ……なんだって? 煽動スパイ? ぼくらが? 口に手をあてろだって?… くそ! もうがまんできない!……」
二人が夜の街を歩きながら会話する現前的場面へ飛躍。「「残念だな」しばらくして、夜の街を歩きながら、怒りの最初の波が引くと溜息まじりにミシェルがいった。「なにかいうことをもっている連中なんだよな。彼らの創造の種がつきたわけじゃない、……」
いずれにせよシュールレアリストたちと訣別した自分たちを確認する二人。
3
「一時期シュールレアリストたちとつきあったことは、ミシェルの予算にかなり深刻な混乱をひき起こした。」
彼はパリでの贅沢に興味があったわけではない。彼は文学志望だ。だから必要なのは彼の自由を保証してくれる「副業」だった。父親からの仕送りでさほど金に困ることもなくサン=タントワーヌ街の小部屋で暮していたギヨームと違って、ミシェルはこの問題を早急に解決しなければならなかった。しかし何をやったらいいのか? もっとも、ミシェルはウラディミールの助けでこの心配事を先に引き延ばすことにいつも成功していた。
------------------------------------------パリに来てから一年以上(ミシェル二十歳の秋、1924年)
「…一年以上たってもまだ二人の若者には、四百万のパリ市民がきびしい暮らしをつづけていることがわかっていなかった。……」
ミシェルはいくつか作品も書いていたが、それらに値打ちがないとは自分でも分かっていた。二十歳にして、サン=ミシェル大通りを行く学生たちが口々にくりかえす名前をもつという神童にはなれそうになかった。しかし楽観主義が勝ちを占めないことはまれだった。「同世代を代表する重要作品ともなるような、漠然とした総合作を書くべき運命にあるとミシェルとギヨームは思っていた。……」
パリでの二人の色恋沙汰は? パッとしなかったのは言うまでもない。女中たちの世界とか、月並みな売春婦の経験とか。
もちろん一九二四年という年にプルーストの愛読者であった二人の若者が、素朴に愛を希求するということはあり得なかった。愛が当人の心理状態の投影にすぎないことを彼らはよく知っていたのだから。
------------------------------------------後説法、この前の夏にレパルヴィエールにやってきたレジスについて
「ヴラディミールが一昨日〈サームソン〉〔乗用車〕を売り払ったんだが、彼のおかげで一二〇〇稼いだよ。ここだけの話だが五十キロ走ったあとの客の顔をみたいもんだ… この悪業のつぐないをするために慈善事業をやらなきゃ。デュランの店へ行こう。気のいいレジスに『春の祭典』を送ってやりたいんだ。ピアノに編曲したやつと、ポケット版のオーケストラ用の楽譜をね。……」の現前的科白から、レジスのことを回想するディエゲーシス。
この夏にレジスはレパルヴィエールにやってきたのだった。レジスは自分の作曲したピアノ・ソナタを披露した。ミシェルはそれに感動をおぼえた。それが借り物だけで生きているのではない、生き生きとした独自性を持っているのはたしかだった。ミシェルはレジスの才能に好意を寄せた。もしかしたら彼は若い頃のリストに似ていなくはないだろうか?
テニスコートへ降りて行きながら、現前的会話(の回想)。「リヨンなんかで君はなにしてるんだろうと思ってしまう。……君に教えることなんてもうなんにもないオルガンの先生も放り出して、ぼくといっしょにパリに来ないか。……フランスの芸術家が自分の芸術を成熟させられるのはパリだけなんだ。……」「……たしかに気をそそられる。しかしパリに住むとなると、ノンだな、そんな必要は感じないんだ…(レジスはほほえんでいた)。……」
------------------------------------------後説法終わり、一挙にパリでのミシェルとギヨームの会話場面に飛躍
「セーヌ沿いの道、あるいは第六区の歩道を歩きまわるギヨームとミシェルのあいだで、レジスのソナタは議論の種になった。残念ながらいささか抽象的な議論ではあったが。……」
やがてレジスもミシェルの中で田舎の知り合いというだけのイメージに後退した。が、時々彼はレジスに手紙を書いていた。そのことについてギヨームと語り合う現前的場面が突然開始。
「「じつに奇妙なんだ」ミシェルは例を引きながらいった。「ある種の概念をレジスに生きさせるというか、彼がそれを生きていると確信するのがすごくむずかしいんだ。……」」決してフロイトを理解しようとしないレジス。そこにはどうもカトリック信者特有の理性の限界がある? ギヨームもこの話題に積極的だったが、ギヨームはより一層あからさまにレジスをこき下ろした。依然としてレジスに少なくない愛着を抱いているミシェルは、それに抗議した。
とはいえ、ミシェル自身の中でも、ギヨームへの友情とレジスへの友情を合致させるのは難しいと分かっていた。それでもギヨームの次に来るのはレジスだ、彼を無視するわけにはいかない……。ミシェルの現前的科白。「……ほんとうの判断を下せるのは彼がピアノを弾くのを聞いてからだ。さっきいったことに話をもどせば、彼の音楽はおそらく、カトリック信者としての良心が彼にかくしているもの、あるいは、音楽の形以外には表現を禁じているものを吸いよせているのだ。……」
さらにレジスについてギヨームとの会話。「ほんとに童貞なのかい?」「いずれにしても彼は好んでそう言う。……童貞とみなされている男にしてはなかなか勘がいいのもたしかだ。……恋に悩むレジスなんて、まさにみものだろうよ。とどのつまり七面倒くさくない、気のいいやつというわけさ。あの調子でいけば、髪をシニョンに巻いて、ロザリオでももっていそうな娘と結婚するにちがいない。……」
そんなことがあってから何週間して、レジスのことはパリの輝きのなかで忘れられていった。
4
「しかし哲学はどうなっていたのだろう? ギヨームは、公には哲学を学んでいるはずだったではないか?」
------------------------------------------後説法、パリへ来た頃
ギヨームとミシェルの興味はギリシア思想、ドイツ思想関係、宗教関係、神秘思想関係、等々にあった。かなり文学的な関心からの切り込みだったと言っていい。そしてベルクソン以来特異な発展をとげているはずのフランスの哲学界に、この法律からの転向者たちは期待を寄せていた。
彼らがパリの大学で受けた最初の哲学の講義で、担当した教授は開口一番「カール・マルクスの天才に対置できるものは何もない」と断言した。一時間十五分の授業時間がその証明に費やされた。形而上学の講義では八十歳の老人がメーヌ・ド・ビラン〔フランスの唯心論の哲学〕を論じる。倫理学は文化人類学に包摂され、もっぱらネグリトス族のトーテムのタブーのことばかりが論じられた。心理学に関して言えば、主要な対象は二十日鼠の記憶力の生理学的測定ということだった。
------------------------------------------三か月後、パリへ来て最初の冬
まるまる三か月たって、ギヨームとミシェルは、プラトン、エピクロス、アリストテレス、プロティノス、ベーコン、スピノザ、デカルト、ショーペンハウアーなどの名前をただの一度も耳にしなかった。これに対してマルクスとなると、一回の講義で少なくとも三十回はその名を聞かされた。ベルグソンを持つフランスは、この時代にあってもっとも聡明な哲学者を持つ国であったが、大学は憎悪をこめて彼を無視していた。
ソルボンヌの教室のベンチで、ギヨームとミシェルが彼らのエレガントなズボンの尻をくすませるようなことが長つづきしなかったのは言うまでもない……。彼らにとって重要だったのは大学の講義ではなく、その冬に独学でニーチェを発見したことだろう。
------------------------------------------翌年七月、学期末試験
七月のはじめ、ギヨームとミシェルは冗談半分で心理学と論理学の試験を受けた。
なぜか論理学の試験は合格。彼らは論理学の問題をおちょくるような答案を書いたのだが、せいぜい三十五歳ぐらいの論理学の教授(フランス社会党の中でも際立つ存在で、次の国会選挙への立候補を準備していた)は冗談の分かる男だったのだ。彼の現前的科白の引用。「……君たちは形式論理学のなんたるかが、これっぽっちもわかっていない。しかし、ちょっとかじったつもりの連中の答案がおもしろくもなんともないのに、君たちのはおもしろかった」
心理学のテストは二十点満点で十九点。これまたなぜか? 心理学の試験官は気のいい老人だった。ミシェルが最初にこの学者の眼鏡に身をさらした。現前的会話スタート。
「「ねえ、君」彼はすこし唾を飛ばしながらしゃべりはじめた。/「君の答案は多くの点で議論の余地がある。しかし私のすぐれた同僚であるジーグムント・フロイトに言及したのは、しかも実に的確な言及だったといっていいが、とにかくそういう言及をしたのは、君と君のもうひとりの仲間だけだ。ほかの受験者たちが彼のことをまったく知らないからといって別におどろきはしない。……」」
ミシェルは新しもの好きだったから当然フロイトを読んでいた。その知識がこの老人を惹き付けたのだった。ミシェルは老人に「夢の性的象徴体系」について話してやる……老人はそれを猥談のように喜んで聞いた。「エディプス・コンプレックスについては個人的にちょっと文献を収集してみたんです。ある外国生まれの仲間のひとりから聞いた話なんですが、五歳か六歳のころ、母親が自分のセックスを手で探るよう誘ったというんです。……」「おもしろい、非常におもしろい… で、そういう操作の結果、成人女性がオルガスムを感じるにいたったのかな?」……
一挙に飛躍してミシェルがギヨームに対して言う現前的科白。「「…二十二点だ!」ギヨームのそばにもどったミシェルがいった。「あのおやじさん、君にフロイトの話をするぜ。九歳のころ君が女中っ子にどんなふうにせんずりさせたか、どんなふうにヴィーナスの丘を愛撫したか話してやるといい。テクニックをこまかくしゃべるんだ。……きっと彼はよだれを垂らして聞くよ。……しかしゼウスへの愛にかけていっとくが、とりわけ笑いころげたりなんかしちゃだめだよ!」」
彼らの学生生活の中で哲学はもっとも壮大な茶番だった……。
※ルバテの文体便覧(第二章から)
・さいわいなことにクローズ氏はおよそ教育本能を欠いた楽観的な父親だったので、その父親との話しあいで解決することができた。(f52)
・これにたいして、コスモポリタンなもの、前代未聞なものへの好奇心をもち、トランクを開くと同時に思う存分食欲を発揮した二人の若者は、まさにパリの神経となり、電気をもたらし、つねに入れかえられる血ともなる人々にかぞえられた。(f54)
・理性の境界を示す古い道標はひきぬかれた。こっけいなほど人為的なその線の内側で、人々はさまざまな現実のなかにとじこもっていたのだった。(f58)
・たしかにね。しかしぼくたちにとってのエゼキエルはランボーだった。(f59)
・硬直した偶像を飾りたてるためについやされた何キロメートルにもおよぶ言葉。それらがうつろにひびき、意味もはっきりしないからといってなにもおどろくことはない。(f59)
・一九二四年向けに修正をほどこしたサマンの亜流が、一ダースほど産み出されつつある… (f60)*アルベール・サマン=象徴派の詩人
・『シェリ』こそ労作の名に値する。百年たったあとも一音節もかわってはいないだろう。(f60)
・しかしだからといって彼を責めるわけにはいかない。とにかくだれかが写実主義という遺産の土地にとどまる必要があるのだ。タチジャコウソウみたいなあの男ほどその土地を活用できるものはいない。(f60)
・彼はまたぼくたちにフランス語を教えなおしてくれた。彼以前のフランス語は、ブールジェの鉱滓、あまりにもしばしばブッキッシュなアナトール・フランスの愛想のよさ、それに象徴主義のまるで水に溶けそうな形容詞や羊の鳴声だった。(f61)
・あまり気取りのない幻想派の詩人が何人かいてほしいのだ(すくなくともそう思おうと努めてはいるのだが、彼らにも祭司たちがいて、ことはそうかんたんではない)。(f61)
・ああ! 君たちにたえず色目を使うあれらのイメージ、あれらの言葉! (f62)
・次に出現するフランス語の大詩人のあやつる単語がせいぜい五百ぐらいだろうことはいまや決定的であり、議論の余地はいっさいない。(f62)
・さいわいなことに、詩がどんな状態にあろうと重大な結果にはならない。フランス文学の生命は、二つか三つの小雑誌をめぐっていがみあっている何ダースかの恨みがましい製造業者の、しぼみきった産業とはまったく無縁なのだ。(f62)
・当時、シュールレアリスムが街を走りまわるなどという状態からはほど遠かったし、ましてや百貨店で目にすることなどはまったくなかった。ミシェルがモンパルナスでその最初の一杯を飲んだとき、公の出生証明書はまだ作られてさえいなかった。(f63)
・なんというきらめきだろう! なんというゆったりした襞なんだ! あいつは毛を逆立てた十七世紀のようないいまわしをしやがる! (f63)
・ありとあらゆる単語がすりあわされ結びつけられたというのに、この理性結婚がもはやなにも産み出さない以上、鳥のように、テロリストのように、犬のように、口からでまかせに言葉を吐き出そう。(f63)
・十八歳のニヒリズムと「つねに美しい」超自然への情熱。なんという結びつきだろう! ランボーの息子であり、この大変動の暁に二十歳であること! (f64)
・彼らはいつも社交人や有名人を槍玉にあげながらわいわい騒いでいたが、おそろしいほどの喧騒もそのためにいっそう味があった。飽満と激越さ、時代全体にたいする否定を頑固なまでに体現し、近代のあらゆる卑劣さに公然と戦いをいどむこれらの若者たち、弁舌さわやかで洗練された若者たちにくらべれば、かつての赤チョッキやデカダン、野獣派のへぼ絵描きなどは、ビリヤード遊びなんかに熱中するおとなしい連中にすぎなかった。(f65)
・彼らは、ますます熱狂の度合いをますこれらの野心や、身近なものになったこれらの伝統破壊者たちの語彙のなかに、たんなる修辞にすぎないものをみてとらずにはいられなかった。(f66)
・ギヨームは神学校にでももどるつもりなのかい? いったいどんな舞台でレパートリーの公証人役を演じるつもりなのかね? (f66)
・しかしねえ、新愛なるブルトン、今度アカデミーに入ってもおかしくないエドモン・ジャルー氏が、好意にみちあふれた眼鏡をあんたのほうへ傾けて、あんたの器用さやあんたの弁証法の華々しい才気に感嘆すると、心の底ではどう思っているか知らないが、とにかくそれが不愉快だとは全然思えない!… (f67)
・それに、その激しさときたらまさに聖書的だ、まるで明日の朝にでも武装した人間を三千万人も顎で使えるみたいじゃないか。それどころか天罰を下すためのエホヴァの奉仕者がみんな味方になるような口ぶりだ。いや、まったく! (f67)
・ブルトンは宗教裁判官の魂の持主なんだ。あれはどうしようもない。(f68)
・ブルトンやあの一味はそのこと自体をたたきなおそうとしているわけなんだが、どうみても尊大すぎるし、意識的に嘘をまぜこみすぎる。あの新しいユートピアは神経にさわりはじめていた。(f69)
・パリで暮らしていくためには、非常に具体的にあれこれ考える必要があった。雑多にいりまじった金の匂いが鼻についた。(f69)
・公証人のクローズ氏と弁護士のラファルジュ氏は、殺虫剤とかマニキュアとかヌガーを売りさばいているわけではなく、いってみれば昔通りの値段で法律を売っているのだったから、これまでになく真剣に考えなければならない唯一の問題は「自由を保証してくれる副業」の選択だけだった。(f70)
・しかしよく調べてみるとこの陽気な同業組合も、不幸なことにほとんど枢機卿になるのとおなじくらい加盟がむずかしく、労働組合、役所関係、経営者団体など、有刺鉄線が何重にも張りめぐらされており、しきたりや既得権も多く、そんななかに素人が迷いこんだら目もあてられないありさまになるにちがいなかった。(f70)
・まさにドン・キホーテを彷彿させるやせ馬も決してただで手に入るわけではないし、ゲーム機械に投げこむ小銭で辻馬車が買えるなどと思うのも浅墓すぎた。(f70)
・「作品〈足〉」のファイルは、うまく筆が進まなかった小説が二、三篇、大いに気分が乗って書きとばし、主題を論じつくしたつもりでいながら、じつは威勢よくそのうえを飛び越えてしまった評論数篇で厚みをましていた。(f72)
・パリに着いていらいミシェルは、いかにも学校の宿題みたいな反対命題や、いっさいの鋭さを失った寸言や、書物や音楽についての不器用な感想文のたぐいをばかにしていた。(f72)
・ぼくたちだって、二千人もいる書きとばし屋とおなじように、ちゃんとした雑誌の定期欄を受け持つぐらいのことはできるんだ。ただそんなことはしたくない。あらゆる隷属のなかで最悪なのはペンのそれだからね。(f72)
・しかし、一九二四年という年にプルーストの愛読者であった二人の若者が、湖畔派の詩人たちのように愛を希求するなどということはありえなかった。(f74)
・たとえば、まだいくぶんトリスタン的でありすぎる半音階技法、かなり高貴な野心を明かしているとはいえ、うっとうしさやむだな饒舌がなくもない展開の形式主義、フランク大先生も決して無縁ではないはずの形式主義、それに必然的であるよりはむしろ意識的に用いられたモダンな生々しさ。(f75)
・それらの叙情的な息吹は、おそらくスノビスムの最後の勅令にそむくものだった。しかしまさにそのことがミシェルの胸に注意を喚起したのだった。(f76)
・それだけじゃない、彼は形而上学まであやつるという。それがまた、切り出した石材、しかも巨大な石材みたいな形而上学なんだ。あれを動かすには三段論法の挽き馬が十二頭は要るよ! (f78)
・もしそういう楽派が存在するのだったら、リヨン派のと呼んでもいい音楽だ。多血質で、理想主義的で、いまアクセサリーがちょっと目立ちすぎる流行の衣裳より、伝統的な布地をまとうほうがくつろげる音楽だ。体質はバッハのように頑健だが、理無くがはっきりすることはまれで──…… (f80)
・しかしとりすました感じは全然なくて、君やぼくとおなじくらい平気な顔でお尻の話もする。その点はみとめてやらなくちゃ。それに童貞とみなされている男にしてはなかなか勘がいいのもたしかだ。(f81)
・ベルクソンいらいフランス哲学は暗いソルボンヌにとじこもっていたとはいえ、その点とっておきの分野を形作っていると推測する根拠は十分にあった。法律からの転向者たちは、自分たちの思考力のために至上の手段を獲得したいという確固たる希望を胸に抱き、とうてい待ちきれない気分だった。(f82)
・男女ともどこか油じみた聴講生が多くて、薄汚いふくろうのような顔のものもいれば、ロシアのテロリストのようなもじゃもじゃ髪のものもおり、中央ヨーロッパないし大草原の十二か十五の方言でその講義を書きとる一方、となりあわせに坐っている神学校生徒もかぞえきれないほどだった。(f82)
・形而上学の講座を担当しているのは、すくなくみつもっても八十歳にはなっている、まるでオペレッタに出てきそうなぼけ老人で、もう長いあいだ痰でも吐くみたいに、年に十回ほどメーヌ・ド・ビランを論じてつづけており、前三列を占めているのは浮浪者たちで、ぽかんと口をあけて眠りこけていた。(f83)
・倫理学は社会学に包括されていた。そのために完全な壊滅状態におちいっていた。倫理という古い大地を支配するのは、いまや「社会問題」という神だけだった。(f83)
・噂によると高い学位をもつ科学者たちが、巧妙な迷路、障害路、運動場などのミニアチュアを組み合わせたおかげで、白い二十日鼠が真に哲学的進化をとげられるようになったという話だった。(f83)
・残念ながらそういう小動物園と付属施設も、ベルリン市民の美的体温表とおなじく、言葉による描写で知られるだけだった。(f83)
・これにたいしてマルクスとなると、一回の講義ですくなくとも三十回は論拠としてもちだされたし、ごくまれに、この太陽のとばっちりがヘーゲルに降りかかった。(f83)
・大学は憎悪をこめて彼を無視するだけでは満足しなかった。ベルクソン哲学にたいして大学は実験心理学をもって対抗すると主張していたが、ようするにそれは蚤の飼育のようなものだった。(f84)
・哲学は、もっとも鼻もちならず狭量なソルボンヌのくだらない教授たちのとじこもる洞穴になっていた。(f84)
・民主主義はソルボンヌを、こっけいきわまりない党派心に凝り固まったオメーたちの支配下におき、その大規模な神学校にしてしまっていた。(f84)*オメー=プチブルの典型
・最高の地位を占めているのが、墨縄や下げ振りをしっかと握った育ちの悪い老いぼれ庭師のような連中であり、彼らは知性を小さな正方形に分割し、まるで子供のようにマニアックにそのシンメトリーに気を配っているのだった。(f84)
・両方とも化石のようなものだったが、執念深いことにかわりはなく、鉤のような爪をのばし、からからにひからび、くどくどとおなじことをくりかえし、しかも意地の悪さときたら底なしの二人の老人のようにおたがいに支えあっていた。(f84)
・トーテムやタブーや二十日鼠の運動選手のテストをめぐって、ぶつぶつ祈りを捧げる声が聞こえ、聖具室の匂いが鼻をつき、眼鏡をかけ油じみた髪をまんなかで二つに分けた扁平足の女教師たちが、そこでははじめてのミサにつらなるこちこちの信心家のかわりとしてこのうえないものに思われた。(f84)
・しかし彼らはその冬重要きわまりない啓示を受けた。ニーチェを発見したのだ。はじめのうちこそ用心しながら近づいたのだったが、やがてすっかりのみこまれてしまい、余白が感嘆符だらけになったのだった。(f84)
・こんな告白を許してもらいたいんだが、なにしろソルボンヌの同僚たちときたら天空の高みにおいで遊ばすんで、新しい理論がお耳に達するのはトンブクトゥーの黒人とほぼ同時というありさまなんだから。(f86)
・善良な老人は、アメノフィス三世の勅書を解読するエジプト学者のように、純粋な食い意地にかられてそれらの細部を味わった。(f87)
・きっと彼はよだれを垂らして聞くよ。いまにわかるだろうけれど。びっくりものさ。しかしゼウスへの愛にかけていっとくが、とりわけ笑いころげたりなんかしちゃだめだよ!(f88)
▼第三章「月光の神」
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1
------------------------------------------ミシェル二十歳の九月、パリ→リヨン
前々からのしきたりにしたがって、九月のはじめ、ミシェルはレジスをレパルヴィエールに招待した(この時点で、もう十ヵ月近くもレジスに会っていなかった)。
だが三週間も経ってから届いたレジスの返事にはレパルヴィエール訪問については一言もふれておらず、逆に、ミシェルのほうからリヨンに来て自分に会ってほしいと頼んでいた。彼らの共通の従兄弟が、ソーヌ河のほとり、サン=ジェルマン=オー=モン=ドールの別荘の部屋を貸してくれることになっている、そこで会おうというのだ。
ミシェルはこの提案が気に入らなかった。ピアノぬきのレジスなんてレジスではない……。が、彼はこの提案を呑むことにした。
電車に乗るミシェル。レジスはペラーシュ駅のホームで待っていた。その身なりが垢抜けていることにミシェルは気づいた。
二人はローヌ河沿いの道を歩きながら話す。レジスのカトリック信仰はこれまでになく確固たるものになっているようだった。ここでミシェルの現前的内語。《へんだな……わざわざぼくを来させたのは、宗教的使命について相談するためだとばかり思っていたのに……》
レジスとの現前的会話。「君に手紙を書いたのは非常に大事なことを伝えたかったからなんだ。ぼくの現在と未来にとってこのうえなく重要な秘密だから、君の友達のギヨームのようにぼくの知らない人がいたんじゃ、とてもいえないようなことなんだ。……」だがまだ打ち明ける気にならないという。ミシェルは当惑せざるを得ない。今日はまだ話せない。話せるようになったらぼくの方からそう言う……。
「二人がサン=ジェルマン=オー=モン=ドールに着いたのは晩餐のすこしまえだった。……」二人に共通の従兄弟というのは例の飾り紐の製造業者の百万長者で、この別荘もとても豪勢な館。夕食も若い雌鶏と古いブルゴーニュ・ワインと豪奢なもの。親類たちが多く集まって騒ぎまくっていたが、その中でミシェルの目を惹いたのは従兄のポールと結婚しているマリー=ルイーズ(リレット)だ。彼女はミシェルより十五か月年上なだけで、居合わせた人々の中でもっともエレガントな美女だった。リレットはパリの話をミシェルにせがみ、二人はたちまち仲良くなった。二人の現前的会話。
夜。ミシェルとレジスのベッドは三階の部屋に用意されていた。
2
------------------------------------------その翌日
翌日は日曜。一家のテニス大会。だがレジスは気が散っておよそ下手くそだった。
だしぬけに彼が言う。「ミシェル、今夜なら君に話せそうだ……十時半にテラスで」
従兄のポールがリヨンに戻ったので、ミシェルにとってはリレットとの仲を親密にする良いチャンスだった。二人はみんなから遠く離れて低い椅子に並んで坐っていた。「マリー=ルイーズはなんて若々しくさわやかなんだ、ほんとうの若い娘だ。それにしても、さわやかで純粋なこの柔らかさの下で、たくみに迎え入れるこの熟れきった身体! この美女の開かれた脚のあいだで、十六歳ごろの生々しい夢が快楽の体験のなかで成就されそうだ…」しかしそのとき時計が十時半を告げた。彼はレジスのもとへ行かなければならなかった。
レジスとの現前的会話。「「もうほとんど待つ気もなくなっていたよ」さりげなくレジスがいった。……」
きみは坊さんになるつもりなんじゃないのかい?
そうなんだ……でも問題はそのことじゃない……それよりはるかに重大なことなんだ……ぼくはある若い娘を愛している、彼女もぼくを愛している……
3
------------------------------------------十月の中頃
「それから三週間たった十月のなかごろ、ギヨームとミシェルは天文台まえの小径をおりて行った。……」散歩しながらの現前的会話。
ギヨームがまずパリでの生活では何かが欠けているように思える……と言い出す。ぼくらはまだ人に見せられるような散文を書くことができていない……。なにか、ぼくらの虚ろな生活に養分を与えてくれるような出来事が、ぼくたちの精神にも肉体にも必要なんだ……。たとえば「愛」だ。ただ寝るだけで、今日は、さよならなんていうだけの女たちはもううんざりだ……。現実をあるがままに言おう、君もぼくもほんとうの伴侶というか、恋人が要るんだ。……
ミシェルもおおむねそれに同意する。そしてレジスの話を持ち出す。ギヨームは関心を示す。「……レジスも君にこの話をしちゃいけないとはいわなかった。ただし、君が好意的に聞く気持をもっているとぼくが感じたらという条件つきではあったけれど! 君に話そうと決めたのは、まさにたったいま君がいったことを聞いたからなんだ。……」その話というのは、つまり、レジスがある若い娘を愛している、彼女のほうも彼を愛している、しかもそれが二年近くまえからだというのだ。
ギヨームは吹き出す。いや、でもこれは笑い話じゃないんだ……とミシェル。ミシェル自身は、レジスの話に胸を打たれたのだ。その娘の名はアンヌ=マリー・ヴィラール。リヨンでも最上流に属する家門の裁判官の娘。まだ十八歳にもなっていない。しかも、レジスが坊さんになるのと同様、彼女も将来尼さんになるというのだ……。「ほんとうにこれは大恋愛なんだ。ほかのことを全部吹きとばしてしまうような情熱恋愛なんだ。……彼らはこの愛を昇華させるつもりなんだ…」
彼らはまだ寝ていない。とにかく大変なプラトニズムなのだ。レジスの描写によればアンヌ=マリーは相当の美女だという。それが本当ならこれはまちがいなくアヴァンチュールだ……。
そしてミシェルの口から語られるレジスとアンヌ=マリーの馴れ初め。ブロンにあるランテルム一家とヴィラールの一家の別荘が隣り合わせだったということから。やがて二人は文通するようになり……。リヨンで再会してからも二人はしょっちゅう会うようになり……。
「特筆に値するのは、去年の九月〔二十八日〕、ブルーイですごした夜のことだな。とにかく二人はものすごく夜行性の恋人同士なんだ。ブルーイというのはヴィルフランシュとマコンのあいだにぽつんと立っている丘で、頂上からは周辺の土地が全部みわたせる。彼らはまたしても、父親、母親、兄弟、従兄弟などをまいて、まるまる二日ふたりだけですごせるようにするのに成功した。あたりが暗くなるころ彼らはブルーイの丘に登った。どんな人間からも二里ははなれたところで、二人は草の上に横になって抱きあい、明け方まで一睡もしなかった。レジスはこういった──「ぼくたちははてしない夜のメロディーに包まれていた」……ほとんど満月だった。それまで一度も経験したことがないような、透明ではてしなく広がる神秘的な夜だった。その夜は彼らにとって決定的な重要性をもった。……」そこでレジスとアンヌ=マリーは啓示を受けた。「……彼らの愛の凱歌は犠牲にこそあること、神がその犠牲を彼らにさしだしてくれていること、神の呼びかけに答えなかったら、もはやあわれむべき堕落に身をひたすしかないこと、そういったことすべてをはっきりみてとったのだった。レジスのいうその天啓は瞬間的な出来事であり、ほんの数瞬間ですべてがはっきりとみえたのだった。彼らの愛のなかで、すべての愛が追求する自我、しかし決して実現されない自我の死にまで到り着くこと、その愛を永遠のものとするために、人間として愛に死ぬこと… 神への愛のなかで、二人の魂を永遠に合体させること。神にゆだねられた使命をなしとげる手段として、神があたえてくださったこの愛を昇華すること。……二人は宗教に身を捧げるのが天職だと思うとおたがいに打ち明けた。レジスが最初に考えたのは、ただちに犠牲を捧げることだった。しかし彼はその危険をみてとった。いっしょにはたさなければならない務めがまだたくさんあることがわかった。……そこで二人は、自分たちの未来を準備し愛を浄めるために、あと二年間リヨンでいっしょに暮らすことにした……」ミシェルは実際この話にここ何年来感じたことのない感動をおぼえた。
ギヨームもその話が月並みではないことは認めた。しかし僧院の壁にとじこもるという行く末はまったく噴飯ものだと言う。ミシェルはレジスの味方をして多少口論する。「ぼくだって君とおなじように考えていることはわかってるだろう! ただ、妥協を拒否するレジスが好きにならずにいられないのだ。それに彼の話は……便秘したみたいなプラトニスムとはなんの関係もないんだ」
やはりギヨームは不承顔。「そういうこの世のものとも思えないすばらしい話の行き着く先が、坊さんだの尼さんだのとはね……」
しかしミシェルは、このレジスとアンヌ=マリーの豊かなアヴァンチュールが可能になったのには信仰があずかっているということを感じていた。「心配することはない、ブルーイのこの話が坊主どもを憎むぼくの気持を変えることなんか絶対にないから。だが……いまの坊主がこんなふうだからといって、……まさしく聖人だったヒーローたちのことを全部忘れてしまうべきなのだろうか? レジスは、あれこれまわり道なんかしない。彼と娘が切望しているのは、まさに聖性そのものなんだ。君だってみとめるだろう、いまどきこんな話が、そんじょそこらに転がっているわけじゃないということは……。とにかく、信仰がいまなおこれほどの生気というか、変容力をもっているカトリック信者に出会ったときの呆然自失……実際その信仰は、目もくらむような結果を産み出す力をもっているんだ……」
4
------------------------------------------一週間後(ミシェル二十歳の晩秋)
一週間後、ミシェルは賞讃に値する大胆さをもって、シカゴからやってきた若いアメリカ娘に言いよった。異国風のうっとりするような娘。だがこの娘は滅茶苦茶な浪費家だった。結局ミシェルは彼女を口説き落とすことはできず、結果残ったのはたった二十フランの手持ちの金だけだった。食いつなぐ手段を見つけなければならなかった。
ミシェルの父は、ミシェルが哲学の試験に合格した褒美として、以前の半額ではあったが息子への仕送りをつづけてくれていた。それ以上は不可能だった、父の公証人事務所も景気が悪かったから……。身持ちの固くなったヴラディミールももう当てにできない。ミシェルは自分のパンを自分で稼ぎだす必要があった。
音楽好きでストラヴィンスキーのファンであるカフェの親爺にミシェルは相談した。勧められたのはブウール学院の復習教師だった。
ミシェルはブウールの校長に会いに行った。サン=シェリーの卒業証明書を手に持って。校長はミシェルを気に入った。ミシェルの担当は第七年級、復習あるいはラテン語を毎日四時間。住居と食事のほか手当は月に一二五フラン。ミシェルは心を決めた。
ミシェルは自分の立場を『赤と黒』のジュリアン・ソレル〔家庭教師〕になぞらえた。仕事はきついわけではなかった。第七年級の生徒たちはみなチャーミングだった。少年たちがおとなしく、行儀よくしようと努めるさまはまさに感動的だった。それにブウールの教員だからといって、いっさい宗教的実践は要求されなかった。
そもそもミシェルは学校の外の「付属の建物」に住んでいたのだ(だから宗教的実践など問題にならないはずだった)。彼の部屋は陰惨で荒れはてていた。この住まいの家賃はせいぜい月に四十フランだろう。食事も不味い。すえたような臭いが掃除の行きとどかない建物のいたるところで勝ち誇っていた。どう考えても女を連れ込む艶っぽい使い方には不向きな住居だった。
やはり、ミシェルは自分が身を落としたと痛感せざるを得なかった。彼は要するに自習監督にすぎず、正規の教師を一人やとう代わりにブウール学院に安く買い叩かれた男なのだった。ラ・ガイユ神父と似たようなものではないか……。
同僚たちとのつきあいも最悪だった。自分のほうから仲良くなりたいと思うような奴は一人もいなかった。どいつもこいつも居酒屋や淫売宿の定連。あまりにも頭が空っぽで下品。彼らを見ていると自習監督としての自分がいっそううら淋しく感じられた。彼はせめて同じ貧しさでももっとマシなものを見つけられなかったものだろうか?
ただし自習監督という職業は、自由に勉強するだけの暇な時間は取れた。それだけが利点だった。メシを食うことができ、ものを書く時間も取れる。
「なすべきこととしてのこっているのは、この世俗の独房を不朽の思考と著作でみたすことだけだった。……」だが何かを書こうと試みても、書き進めるにつれて魅力を失うのだった。彼は自分のみすぼらしい部屋の中を見回す。今書いているこの作品で、はたしてこれほど屈辱的な生活を償うことなどできるだろうか? 彼はレジスのアバンチュールに得難い文学的鉱脈があることを予感していたが、それを文章にすることは全然できなかった。代わりに彼はレジスに手紙を書いた。たくみにおもねるような手紙だ。
音楽評論も書いてみようとした。だが書きつづけることができなかった。音楽を言葉で敷衍することにはげしい抵抗を感じてしまうのだ……。
それにしてもアメリカ女を追いまわすなんて、馬鹿げたことをしたものだ! 彼はもう八週間近くも前からセックスをしていなかった。彼の身体は下品な肉体的混乱をを起こしていらだってばかりいた。純潔?──非常に高貴なものとみなされてはいるが、実は人が思うほどではないかもしれない原因の、卑俗といえばあまりにも卑俗な結果だった。彼は決然たる経験主義で治療することにした。モンパルナスへ娼婦を買いに行ったのだ。エピローグはかなり味気なかった。明け方リュクサンブール公園に沿って歩くミシェルは、ひどく孤独な気分だった。それでも足は軽かった。胸のつかえもとれ、すかっとしていた。「後悔」「罪の意識」などというものは彼には無縁だった。性交の翌日に吐き出される悲嘆、不安、憂鬱、嫌悪のたぐいが現代文学には多過ぎた。ミシェルはそんなものは軽蔑していた。スタンダールならおそらく「ローマ的」健康と呼んだにちがいない。
少なくとも頭が軽くなったおかげで、ミシェルは冬の勉強計画により大きな気力をもってふたたびとりかかることができた。フィヒテ、デカルト、スコラ哲学、プラトン、ヘラクレイトス、シェストフ……哲学と神学にかかわる重要な問題を、議論の余地なく再検討し整理すること。
※ルバテの文体便覧(第三章から)
・ところが昔にくらべると、はるかに〈神学校生徒〉らしくない。あのステッキだの帽子だのはむしろ、意識の危機の前兆とも思われかねない。それでもやつは聖トマス・アクイナスにもまけないほどしっかりしている。(f91)
・ミシェルは幸せな官能の囚人だった。いま彼がたちあがるのに値するようなものは、この世になにもなかった。(f94)
・それが今どうなってる? 三年すぎたんだぜ。君にしてもぼくにしても、ぼくらの主張を裏づけるような散文を、ほんの百行でも、人にみせられるだろうか?… ぼくらはなにかというとすぐ人を軽蔑するけれども、どうみてもそうするだけの権利を実際に獲得したとはいえない。ぼくらはかなり不毛な、ちっぽけなインテリとして生きているだけだ。(f96)
・ようするに、ぼくらはうまいときにいあわせたというわけだ。もちろん不愉快じゃなかったし、ぼくらはこういう議論を軽騎兵の理論に仕立てあげさえした。おかげで、男らしさの幻想を安く手に入れることができたわけだ。しかし君はそれで十分だと思うかい?(f96)
・君だってぼくとおんなじように感じているにちがいないが、一種のノスタルジアというか、内面の「欠落感」はもはや、恋の溜息をついている男たちのソネットのような文学に属しているわけじゃない。かなり苦々しいけれどもそれが現実なんだ。(f96)
・そういう娘たちについてぼくらが話しあうことはないし、だいいちみてみぬふりをしている。そんなことをしたらセンチメンタルな童貞に思われかねないからだ。(f97)
・それにしてもいったいなぜ僧院なんだ? 君には考えられるのかい? 僧衣を着たトリスタンだの、修道女の白頭巾をかぶったイゾルデなんて? (f99)
・いまの二人の状態じゃ、そういうエピソードをはっきり語らせるのはあまり容易じゃない。なにしろ今はもちろんたいへんなプラトニスムだからね。懸命になって誘惑をおさえこんでいる… (f99)
・レジスはまだほんの小僧で、ワーグナー主義者でさえなかった。そんなときの彼はさぞかしこっけいだったろうよ! (f100)
・特筆に値するのは、去年の九月、ブルーイですごした夜のことだな。とにかく二人はものすごく夜行性の恋人同士なんだ。(f103)
・もっとも生気にみち、もっとも率直な愛のひびきを聞きわけたのだ。便秘したみたいなプラトニスムとはなんの関係もないんだ。(f104)
・ブルーイで受けた啓示の、いうまでもなく摂理的な解釈とか、神との交流の話はさておくとしよう。〈もし、もし! お待ちください。こちら「無限中央局」です。永遠の父なる神様があなたにお話したいと申しておられます…〉というようなもんだ。(f105)
・ブルーイの透視者たちは、シュールレアリスムを精神化したんじゃないだろうか? 彼らは愛の、もはやエロスの始動装置にはとどまらない愛のシュールレアリストなんじゃないだろうか? (f106)
・心配することはない、ブルーイのこの放しが坊主どもを憎むぼくの気持をかえることなんか絶対にないから。ぼくは、リヨンの二人の恋人たちの悪魔の弁護士というか、いいかえればむしろ神様の弁護士を買って出る… (f106)
・それどころではなかった。社会は、卒業証書をもっていようがいまいが、若者たちを朝の八時から夕方の六時半まで、現実にしばりつけようとしていた。それと引きかえに手に入るのは、月千二百フランの給料と、名刺に一行つけ加える権利だけだった。(f109)
・音楽好きでストラヴィンスキーのファンでさえあるカフェの親爺に、ミシェルは窮状を打ち明けた。フルリュス街にたばこ屋をかねたこぎれいな店を出している男だった。『兵士の物語』を聞いておなじ陶酔におそわれたのがきっかけで知りあったのだった。ミシェルは彼の趣味と職業のコントラストを評価しており、リュクサンブール公園の、その通りに近い側から出たときには、好んでこのディレッタントの店のカウンターで飲んだ。(f109)
・しかしぼくはあんまりよくリズムがとれない。もちろん、まずいよね。ぼくはきっと、拍子にあわせて踊ることができなかったベートーヴェンみたいな人種なんだろうと思うんだ。(f109)
・サキソフォン奏者かカトリックの教員か。この二者択一はおもしろいとミシェルは思った。(f110)
・古いぶどう酒で煮たような赤らんだ皮膚、ラ・ガイユの皮膚とはいささかちがっていた。(f110)
・さわやかな少年たち、髪にもきちんと櫛目を入れ、身なりも瀟酒で、母親の使う上等な石鹸の匂いのする、このうえなく魅力的な少年たちだった。ミシェルは、あの愛らしいスタニスラス=グザヴィエ・ド・レナル〔『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレルが家庭教師として教えた子供〕のことを考えた。(f111)
・そのエロティスムには、パラメード・ド・シャルリュスはもちろん、サド侯爵その人さえ息づまる思いをしたにちがいなかった。チュニックをまとっただけでほとんど裸に近く、少年の素肌をピンクがかったオーカー色に塗っていたディアナは、レオナルドの両性具有のバッカスを思わせる巻毛と微笑で、このうえなくあいまいな愛のしりごみや媚態や愛撫の仕草をみせていた。(f111)
・シュールレアリストのぼくらの冒◯なんて、浮かれ騒ぐこのケルビーノ〔モーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』に登場する思春期の少年〕たちにくらべれば、お嬢さんがたの文字あて遊びみたいなものだった。彼らの雑誌にこの報告を書くべきなんだが。(f112)
・彼の部屋はまるで牢獄の独房のように、床から七フィートはあろうかという高さの小窓から明かりをとる奇妙な作りだった。これ以上陰惨で荒れはてた住まいは想像しにくかった。(f112)
・月に二度しか手を洗いそうもない、みるからにおぞましい小使が部屋の掃除をすることになっていた。(f112)
・ブウールの優雅さにもかかわらず、掃除の行きとどかない共同食堂や流しの埃と垢、すえたようなにおいが、そこではいたるところ勝ち誇っており、ミシェルにとって、そのひとつひとつが胸の悪くなる思い出だった。復習教師という肩書も公の潤色にすぎず、幻想はいっさい抱きようがなかった。(f112)
・ぼくはようするに自習監督で、三十五人の小僧どもの見張り役なんだ。ラテン語をすこし知っていることを連中にみせつけるとすれば、このとるにたらぬ品位は坊さんたちの吝嗇のおかげだ。正規の教師を一人やとうかわりに、自習監督二人でごまかしているのだから。(f113)
・自習監督なんて昔から、なり損ないの詩人だの、いびつな教養を夢みた怠け者の溜り場なんだ。(f113)
・なによりも不愉快だったのは、この「プチ・ショーズ」〔アルフォンス・ドーデの小説の主人公〕風の挿話の月並みさだった。(f113)
・それに、狂気にかられたヴァン・ゴッホの最後の自画像。エメラルドやリラなど、もっともやさしい春の色が、このうえなく荒々しい絶望的な絵筆で線影状になすりつけられていた。(f114)
・なすべきこととしてのこっているのは、この世俗の独房を不朽の思考と著作でみたすことだけだった。(f114)
・ミシェルの返事は、調和よくバランスがとれていた。いまもってバレス主義をふっきれずにいる田舎者の目には自分の世界とはかなり無縁なものとして映るとしても、あるアヴァンチュールの美しさをたたえるすべは心得ており、人間の魂を心から愛する人間の表現とみなしていい文章だった。(f115)
・ミシェルはその手紙のなかで、たくみにおもねるような形容詞をいくつか書きつらね、神の霊感を受けたカップルに挨拶を送っていた。それらの形容詞は、彼がどんな状況にあっても表明しようと心に決めていた不可知主義、あるかなきかのメランコリーにおおおわれた、趣味の良い不可知主義を埋めあわせるものだった。この小傑作を書き綴ったときの彼は、きわめて冷静な気持だった。(f115)
・ミシェルがパリに第一歩を踏みだしていらい、コレージュや田舎の味のする憂鬱さは永遠に克服できたと思えていたのに、この短い休止期間のあと、この部屋とその住人はふたたび憂鬱な気分にとらわれはじめていた。(f115)
・だからどうしたというのだ? ある傑作の構成を言葉で描写するすべを知ったからといって、それが傑作ではなくなるというのか? ワーグナーをこばむ権利をもっているのは、ストラヴィンスキーのほか数人の人々だけだった。というのも彼らの成就にとってこの不正はどうしても必要だったからだ。(f116)
・しかしミシェルは書きつづけることができなかった。『トリスタン』の炎を言葉でいっそう強烈に燃えあがらせることはできなかった。音楽を言葉で敷衍することにはげしい軽蔑をおぼえていたのだ。それは、傑作の幹にしがみつき樹液を吸って細々と生きる寄生虫のような文学にすぎなかった。(f116)
・彼はもう八週間近くもまえからセックスしていなかった。神経がからみついてしまい、はげしい歯痛におそわれたときのように、文学的転換を受け入れようとせず、月のものが乱れている処女のように下品な肉体的混乱を起こしていらだってばかりいるのは、この禁欲のせいだと彼は考えた。(f116)
・しかし、精密な診断を下そうとしてぐずぐずするのはやめよう。決然たる経験主義で治療するとしよう。(f116)
・密室で結論を出すのがふさわしい状況になっていた。ヴァヴァン街の小さなホテルでことが運ばれた。(f117)
・それでも足は軽かった。落着いていた。胸のつかえもとれ、すかっとして、磨いたランプのように頭がすっきりした。しかし、まさにその澄み方が彼を悩ませた。というのもそれは空っぽになった澄み方だったからだ。(f118)
・ミシェルはそこに、強烈な個性のしるしをみてとっていた。スタンダールならおそらく「ローマ的」健康と呼んだにちがいなかった。彼にいわせれば、うまく消化できなかった乱痴気騒ぎの翌日に吐き出された悲歎、不安、憂鬱、嫌悪のたぐいが現代文学には多すぎた。(f118)
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