resume:竹内好「中国の近代と日本の近代」
- ヨーロッパが、その生産様式と、社会制度と、それに伴う人間の意識とを東洋に持ちこんだとき、今までなかった新しいものが東洋に生まれた。
東洋の近代はヨーロッパの強制の結果である。ヨーロッパには、東洋への侵入を必然とする根元的なものがあったことはたしかだ。それはおそらく「近代」の本質と深くかかわっていることだろう。「近代」とは、ヨーロッパが封建的なものから自己を解放するにあたって──生産の面では自由な資本の発生、人間については独立した平等な個人の成立──その封建的なものから区別された自己を自己として眺めたときの自己認識であるが、そもそも、ヨーロッパが可能になるのがそのような解放においてだと言えるし、解放そのものが可能になるのが、ヨーロッパにおいてであるとも言える。つまり、ヨーロッパは不断の自己更新の緊張によって辛うじて自己を保持している。自己が自己であるためには、自己を失う危険も冒さなければならない。「疑う我れを疑い得ない」というヨーロッパの近代精神の根本命題の一つも、そのような緊張から発せられたのだ。
ヨーロッパが自己更新的、自己拡張的であることが、一方では東洋への侵入という運動となって現われた(他方ではそれはアメリカという鬼っ子を生み出した)。東洋への侵入は、世界史の進歩、あるいは理性の勝利とヨーロッパにとっては観念されている。市場の解放、人権と自由の保障、教育や解放運動の援助、それを裏付ける実証主義と経験論と理想主義。侵入とはヨーロッパの近代的特徴性格の自己実現=自己拡張にほかならなかった。ヨーロッパの目にはそれは高次の文化の低次の文化への流入、落差の自然調節として眺められた。
侵入はしかし、当然抵抗を生む。資本主義化という侵入の形は、ロシアにおいては資本そのものを否定する抵抗を生んだ。ヨーロッパの植民地だった新大陸は、ヨーロッパから独立し、超ヨーロッパ的なものとなってヨーロッパに対立した。
では東洋における抵抗はどうだったか? 東洋の抵抗は、敗北した。その敗北を通じて東洋は自己を近代化した。ヨーロッパはその東洋の敗北を世界史の進歩と理性の勝利として観念した(ところで、敗北と敗北感は異なる。敗北という一回かぎりの出来事は、むしろその敗北という事実を忘れる欺瞞の方向に自己を導くことによって、敗北感を消去し、しかしまた二次的かつ決定的な敗北に自己を至らしめる。敗北感、敗北の自覚の持続は、少なくともこの二次的な敗北を拒否するという二次的な抵抗ではあるだろう。敗北の否認という自己欺瞞に対する抵抗)。ヨーロッパは不断の緊張においてのみヨーロッパであるから、ヨーロッパの前進=東洋の後退という前進の瞬間においてしか、ヨーロッパはヨーロッパではない、したがってヨーロッパと東洋の和解と混合ということは虚像である。その虚像が毀れる地点で、ヨーロッパの勝利=東洋の敗北を永続させようとする運動のなかで、東洋は、ヨーロッパに混ざり合うのではなく、ただ一に自分が失われることを感じる。絶対の敗北感。ヨーロッパの理性の勝利を、われわれは絶対的に不可避的に認めるほかはない……。
ところがこの自己が失われた空位に、「後進」という観念がゆっくり忍び込んでいく。単に後退の方向からは後進という意識は起こらないから、当然にこれは、前進の観念を相手(ヨーロッパ)に投射した対立観念として生じる。そしてこの「後進」意識において、敗北が勝利へと転化する。「抵抗」が「転向」にすり替えられるのだ。ヨーロッパから与えられた「後進」という観念をわれわれは自己の実体として融通無碍に受け入れる。主体性を欠いたドレイ感情のもとはここにある。
このような現象はかなりの程度まで東洋諸国に共通だろうが、それが一番はっきり出ているのは、日本だろう。日本の近代化のめざましい速度、そしてその進歩と見えるものが同時にドレイ化でありダラクであったことは明らかだ。もっとも東洋的でないことがもっとも東洋的であるということ。もっともヨーロッパ化したものがもっともヨーロッパ的でないということ。日本はヨーロッパからの侵入に対する抵抗がもっとも少ない場所だった。というのは、自己保持の欲求が少ない(自己がない)ということで、実際には日本がヨーロッパ的でも東洋的でも何ものでもなくなったということを意味する。
そのような認識において私は魯迅に出会った。私にとって日本の抵抗のなさはおそろしい。日本文化のなかでは新しいものは必ず古くなる。日本の近代文学の歴史は、人間のダラクの歴史ではないのか? もしそうでないなら、少数の詩人がダラクを拒否したために敗れているのは、なぜであるか? 私は、自分のおそれの感情をそのものとしては気付かずに過ごしてきた。日本の思想家なり文学者なりの多くが、少数の詩人をのぞいて、私が感じるようなものを感じていないことが不安だった。そしてそのとき私は魯迅に出会った。魯迅が私が感じているような恐怖に捨て身で堪えているのを見た。私は魯迅の抵抗から自分の気持を理解する手がかりを得たのだ。
ヨーロッパでは物質が運動するだけでなく、精神も運動する。精神の自己運動においてたえず自分を超えていこうとする動きがある。止まりきりになることはない。だからヨーロッパでは観念が現実と矛盾するような兆候を見せると、それを超えて行こうという方向で、つまり場の発展によって調和を求める動きが必ず起こる。それによって観念そのものが発展する。だが、日本では、観念が現実と不調和になると、以前の原理を捨てて別の原理をさがすことからやり直す。観念は置き去りにされ、原理は捨てられる。誰もが古いものを捨てて新しいものを取り入れることに汲々となる。文学においても、政治においても、思想においても。自由主義がダメなら社会主義、社会主義がダメなら実存主義、実存主義がダメなら共同体主義、というふうに。たえず失敗しているわけだが、失敗を失敗することは絶対にない。「失敗したらやりおなせばいいじゃないか」というわけだ。「今さら戦争に負けたことをくよくよして何になるんだ」。日本イデオロギイには失敗がない。それは永久に失敗することで、永久に成功している。ヨーロッパ人は、日本の近代化の速度におどろいている。日本人が敗戦の痛手を受けることの少ないのにおどろいている。それは進歩のように観念されている。まったく、それは進歩というほかはないだろう。ただ、その進歩はドレイの進歩であるというだけだ。
日本文化の進歩性においては、「新しい」ということが価値規準になり、「新しい」ということと「正しい」ということが重なりあう。或る学説なり流派なりが現実と不調和になったのを見ると、それが学説や流派が古いからだ、だから現実に適応できないのだ、だからより新しい学説を求めなければダメだ、と考える心理傾向が日本人にはある。たえず新しさを求めることにおいて日本人は勤勉である。まったく勤勉だ。現実を追いかけて、現実に適応しなくなった観念を次々に捨てていくことにおいて勤勉である。良心的な人ほどそうなる。なぜなら、現実とのあいだの不調和に気が付くのは良心的な人たちだから。新しいものに反対する動きも一応あるにはあるが、しかしそれは大抵の場合、現実に追い付けない僻みからきている。
日本文化には古いものが古いまま新しくなるというような《新生》は起こらない。一切はドレイの進歩でありドレイの勤勉だ。日本文化の代表選手には、人間の精神の産物であるはずの文化が、追いかけてつかまえるべきものとして、外にあるものとして観念されている。それをつかまえる努力において彼らはじつに熱心だ。追いつけ、追いこせ。一歩でも先へ出ろ。彼らは優等生のように点数をかせぐ。事実、学校時代の優等生が日本文化の代表選手になり、その優等生精神を反映したピラミッド型の優等生文化をつくりあげる。日本では私学が官学よりも官学的だ。福沢諭吉の伝統は、福沢諭吉の生きているうちにもう失われていた。ピラミッドの頂点はますます伸びて、優等生たちは得意満面だった。日本の軍備は世界一だ。日本の経済は世界一だ。日本の医学は世界一だ。日本の民族性は世界一優秀だ。そこから、こんな優秀な文化を築いたわれわれは、劣等生である人民とは価値が違う、おくれた人民を指導してやるのがわれわれの使命だ、おくれた東洋諸国を指導してやるのが自分たちの使命だ、となる。もし劣等生である人民が自分たちの文化的なほどこしを拒むなら、それは人民がバカで、優秀なものを受け入れる能力がないからだ、とする。これは優等生の論理の正しい展開である。
日本文化は優秀である。優秀でないわけがない。ただ優秀な日本文化にも、優秀でない部分がある。それはなにかというと、日本のなかにもやはり劣等生がいることだ。優等生がいくら頑張っても、劣等生がいる分だけは、総体の文化水準が引下げられる。じつに残念だ、と優等生たちは言う。そう言われると、劣等生たちは優等生たちに済まない気がする。劣等生たちは自分たちを罪深く思い、日本の代表選手である優等生たちを必死で応援する。応援しなければならぬ。ところが負けた。敗戦だ。なぜ負けたのか。まだまだ日本文化の優秀さが足りなかったからだ。そこで選手交代だ。劣等生たちが優等生になれるようにさらに教育だ。今度は負けないように、日本文化の優秀さをさらに一分でも高めなければならない。日本イデオロギイに敗北はないのだ。それは敗北さえも「良い」ものに転化するほど優秀である。万歳。日本文化万歳。
だが、もしも日本が、日本文化の優秀さゆえに敗北したのだと考えるならばどうなるか? そして優秀文化を拒否したらどうなるか? 進歩そのものをダラクであるとして、進歩を拒否したらどうなるか? とんでもない、と優等生たちは言うだろう。わざわざバカになりたがるなんて。そんな反動的なことはやめてくれ。優等生たちだけではない、劣等生たちもまた言うだろう。私たちがバカで、優等生でないために日本は負けてしまいました。私たちは心を入れ替えて勉強しようと思います。優等生の言いつけを守って、一歩でも優等生に近づき、今度は負けないように頑張ります。そうだ、劣等生諸君。諸君は正しいだろう。日本の優等生文化のなかでは、そうするしか生きられないのだ……。日本において、敗戦を悲劇として経験した人はほとんどいなかったと言っていい。魯迅はこう書いている。「人生でいちばん苦痛なことは、夢からさめて、行くべき道がないことであります。夢をみている人は幸福です。もし行くべき道が見つからなかったならば、その人を呼び醒まさないでやることが大切です」(「ノラは家出してからどうなったか」)。
魯迅に「賢人とバカとドレイ」という寓話がある。或るところに、主人に虐げられ、日々辛い仕事と貧しい暮しに苦しんでばかりいるドレイがいた。賢人はドレイの愚痴と不平を聞いてやり、なぐさめる。「いまにきっと報われるときがくるよ」。しかしドレイの苦しい生活はつづく。今度はバカに不平をもらす。私にあてがわれている小屋はおんぼろで、臭くてたまらないんです、四方にも窓がないし……。するとバカがいう。「窓を開けてくれと主人に言えばいいだろう」。「めっそうもない!」。「なら俺が開けてやる」。バカはドレイの小屋へ行って壁を壊しにかかる。「何をなさるんですか!」。「おまえに窓を開けてやるのさ」。動転したドレイは大声で助けを呼び、ほかのドレイたちと力を合わせてバカを追い払う。そして騒ぎの後に出てきた主人に向かって、うやうやしく「わたくしどもの家を壊そうとした強盗を、私がまっさきに見つけて、みんなで追い払いました」と報告して、主人から褒め言葉をもらう。賢人の予言した「報い」を得たわけだ。そのことをドレイは賢人とともに喜び合う。「主人が私のことをほめてくれたんです! 私に運が向いて来ました。前途は希望にあふれています。さすがの先生の先見の明でした」。賢人も満足げににんまりする。というところで話は終わる。この寓話は魯迅が呼び醒まされた状態について書いていると考えていいと思う。
この寓話の主語はドレイ(東洋の魯迅自身)だ。魯迅が賢人を憎んでバカを愛したことは確かだが、この寓話から賢人とバカという人間性の対立だけを抽象すると、本質的なものが失われてしまう。寓話の具体性がヒューマニズムという一般的なものに還元されてしまう。魯迅はヒューマニズムを拒否した人だ。日本のヒューマニズムの作家なら「賢人とバカとドレイ」という寓話を、ドレイが賢人によっては救われないがバカによって救われるというふうに書くだろう。あるいは、ドレイがバカに感化されて、自分自身で主人を倒すことによって自分を救うというふうに書くだろう。だが魯迅の視野においては、ヒューマニストが期待するようにはバカはドレイを救うことができないのだ。バカがドレイを救おうとすれば、彼はドレイから排斥される。ドレイを救うことができるのは賢人だが、しかしそれはドレイの主観における救いでしかない。なぜこうなるのか。ドレイが呼び醒まされることの恐怖から逃避しているからだ。呼び醒まされないこと、夢を見ること、言い換えれば救わないことがドレイにとっての(主観的な)救いになってしまっているからだ。このようなドレイが呼び醒まされたとしたら、彼は「行くべき道がない」「人生でいちばん苦痛な」状態、つまり自分がドレイであるという自覚の状態を体験しなければならない。その恐怖に堪えなければならない。「前途が希望にあふれて」いないのが夢から醒めた状態なので、行くべき道があるのは夢がまだつづいている証拠である。自分がドレイであるという自覚を抱いてドレイであること、それこそが夢から醒めたときの状態、「人生でいちばん苦痛な」状態だ。行く道がないから行かねばならぬ、むしろ行く道がないからこそ行かねばならぬという状態である。彼は自己(ドレイ)であることを拒否し、同時に自己以外のもの(主観的な救い)であることを拒否する。二重の抵抗、それが絶望の意味だ。絶望は、道のない道を行く抵抗においてあらわれ、抵抗は絶望の行動化としてあらわれる。そこにヒューマニズムの入り込む余地はない。
絶望した魯迅の目には、「先進的」な日本文化が、賢人主義の文化、すなわち主観的な救いと解放の幻想の文化として映るだろう。その事実は、その先進性ゆえに日本文化の意識にのぼらないだろう。魯迅は幻想を拒否している。賢人を憎んでいる。「呼び醒まされた」苦痛の状態に堪えている。彼は解放の社会的条件を外から与えられるものとして求めていない。抵抗しているからだ。抵抗を放棄すれば、解放の幻想は与えられるだろう。優等生になることはできるだろう。むろん魯迅はそんなダラクとは一切無縁だった。
日本文学のヒューマニストたちは、すなわちダラクしたドレイたちは、自分がドレイであるという自覚を拒んだ。彼らは主観的にはもはやドレイではない、主人である。だが自分がドレイでないと思い込む欺瞞によって、彼らは真のドレイとなった。魯迅は「ドレイとドレイの主人は同じものだ」と言っている。日本は、近代への転回点において、ヨーロッパに対して決定的な劣等意識を持った。それから猛然としてヨーロッパを追いかけはじめた。自分がヨーロッパになること、より良くヨーロッパになることが「行くべき道」であると観念された。つまり自分自身がドレイの主人になることによってドレイから脱却しようとした。日本文化の優秀さがそうさせたのだ。結果、自分がドレイであるという自覚を持たずに、自分がドレイでないという幻想に酔いながら、ドレイである劣等生人民をドレイから解放しようと奮闘するという滑稽な仕儀になった。呼び醒まされた苦痛を知らずに相手を呼び醒まそうとした。そこにはいかなる主体性もない。
日本の文学の、政治の、思想の主体性の欠如。それは自己が自己自身でないことからきている。自己が自己自身でないのは、出発点で抵抗を放棄したからだ。日本文化の優秀さは、抵抗を放棄した優秀さであり、ドレイとしての優秀さ、ダラクの方向における優秀さだ。ロシアは、資本主義に対して野蛮なほどの抵抗を行うことなしには資本主義を取り入れることはできなかったが、日本の資本主義は、ヨーロッパの産業革命におけるほどの抵抗にも出会わなかった。日本文化の優等生たちには、その進歩性のゆえに、抵抗を放棄しなかった他の東洋諸国が、後退的に見える。二葉亭四迷以降、日本文学はあれほどロシア文学に傾倒しながら、たとえばドストエフスキイがいかにヨーロッパ文学への東洋的抵抗を放棄しなかったかということは見逃しつづけている。
ドストエフスキイや魯迅のような人間が生まれてくるのは、激しい抵抗を条件にしなければ考えられない。あらゆる進歩への道が閉ざされ、新しくなる希望がくだかれたときにあのような人格が固まるのだろう。古いものが古いままで新しい、というぎりぎりの存在条件をそなえた人間が可能になるのだろう。ドストエフスキイや魯迅のような人間は、進歩の限界をもたぬヨーロッパ社会のなかからも、また、進歩の幻想のなかにいる日本でも生まれないだろう。生まれないだけでなく理解もできないかもしれない。日本からドストエフスキイを見れば、彼の文学がヨーロッパ文学を取り入れた面だけが見えて、ヨーロッパ文学に抵抗した面は見落とされてしまう。古いものが《新生》することは日本では絶対にない。プロレタリア文学が外から入ってきたときそれに頑強に抵抗した魯迅が、或る時期が経過してみると、プロレタリア文学者よりもマルクス主義的であった、というような現象は日本では絶対に起こらない。
あの「転向」という現象も日本の優秀文化に特徴的なものだろう。つねに新しいものを追い求めて転向しなければ優等生でいつづけることはできないのだから。全体主義より民主主義が新しければ、全体主義を捨てて民主主義へ赴くのが優等生にふさわしい良心的な態度である。むしろ転向しないことの方が保守的であり、固陋である。だが、抵抗し、自己自身であろうとするものは、方向を変えることができない、転向できない、つまりわが道を歩くしかない。そして歩くことによって自己は変わる。抵抗し自己に固執することで自己は変わる。変わらないものは自己ではない。私は私であって私でない。私が私であるためには私以外のものにならなければならないという時機は必ずあるものだ。それは古いものが《新生》するチャンスであるし、反キリスト者がキリスト者に(自己が自己であろうとした結果否応なく)回心するチャンスでもある。ところが日本の近代において、《新生》や回心が起こらず誰もが転向ばかりしているというのは、自己自身であろうとする欲求が欠如していることの証左ではないのか。
私は、日本文化は型として転向文化であると思う。日本には抵抗がない。日本文化のなかでは新しいものは必ず古くなる。それは生から死へはゆくが、死から《新生》へはゆかない。日本では、過去を断ち切ることによって本質的な持続を浮び上がらせる、という動きがない。内部から伝統を否定することによってそれを超えていくというふうな革命が起こらない。革命は往々にして外からの押し付けだ。
日本文化は、いまだかつて独立の体験を持たないのではないか、そのために独立という状態を実感として感じられないのではないか、と私は思う。外からくるものを苦痛として抵抗において受け取ったことは一度もないのではないか。「呼び醒まされた」苦痛は、日本文化には無縁ではないのか。
もし真の独立を欲するなら、自己の生存を賭けなければならぬので、そのためには、あらゆる抵抗の契機をつかまねばならぬ。つまり「呼び醒まされた」苦痛に堪えなければならぬ。私もどちらかと言えば、夢を見ていたい一人だ。なるべく呼び醒まされないでいたい。しかし私は呼び醒まされた人を見てしまった。「夢からさめて、行くべき道がない」「人生でいちばん苦痛なこと」を体験した人を見てしまった。それが魯迅だ。私は、自分が呼び醒まされはしまいかという恐怖を感じながら、魯迅から離れることはできなくなった。魯迅はこうも書いている。「私たちは、人に犠牲をすすめる権利はありませんが、そうかといって、人が犠牲になるのを妨げる権利も持っておりません」(「ノラは家出してからどうなったか」)。
- 書誌情報:竹内好著、『日本とアジア』、ちくま学芸文庫、1993年
- 書誌情報:魯迅著、竹内好訳、『野草』、岩波文庫、1955年
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